10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

1800年代の中国 清王朝 嘉慶帝 中国南部から清王朝の崩壊の予感、イギリスと白蓮教徒の乱

 清の衰退は、北京から遠い南部で始まった。96年四川省で始まった宗教反乱(白蓮教徒の乱)は、04年にようやく鎮圧された。しかし、これにより財政難になる。一方、外交では2大大国に挟まれていた。北方には、ロシア帝国。南方の広州ではイギリスとの貿易が始まった。

  17世紀末、人口増加による土地不足や開墾による環境破壊で中国では社会不安が広まっていた。この不安は、2世紀劉備が建国した蜀のエリア四川省で爆発した。宗教反乱である白蓮教徒の乱である。この反乱の鎮圧には10年かかり、04年に鎮圧した。この鎮圧は清王朝の財政をひっ迫させた。しかし、清王朝は貿易黒字で何とかしのいでいた。
 当時の清王朝の貿易相手国は、産業革命で潤っていたイギリスであった。当時のイギリスは、環境汚染がすすみ、水を煮沸しないとのめない状況であった。そのため、紅茶需要が高まり、中国産茶葉がイギリス国内でよく売れた。しかし、イギリスの主力産業である綿織物は、清王朝ではほとんど売れなかった。そのため、イギリスから銀が流入していた。一方、貿易については、規制が大きく、広州(現在の香港近郊)の港に制限されていて、広州の特定職人に限定されていた。イギリスの課題は、自由貿易貿易赤字の是正のための綿製品の輸出拡大にあった。
 当時のヨーロッパの情勢は、ナポレオン戦争の真っ最中であった。東アジアの交易の主力であったオランダは、フランスのナポレオン皇帝の支配下にあった。清王朝の主要貿易相手国のイギリスはアイルランドを併合するとともに、ナポレオン戦争を進めていた。一方、清王朝の北のロシア帝国は、オスマン帝国、イランと交戦中であった。
 一方朝貢国の東南アジアのベトナムに対し、清王朝阮朝をフランス人宣教師らの傭兵とともに支援。02年、西山朝を倒し、阮朝ベトナムを統一した。04年清王朝阮朝ベトナム王に封じた。
 一方で、清王朝の全盛期であった乾隆帝が99年に亡くなり嘉慶帝の時代に入っていた。

そのころ、日本は

 

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