10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

2010年代のフランス 格差社会が起こすパリ同時多発テロと「黄色いベスト」デモ

今週から、フランスと中国の歴史を交互にアップしていこうと思います。
現在のフランスは、17年に就任した若きマクロン大統領のもと好景気を回復している。しかし、痛みを伴う改革は、「黄色いベスト」デモにつながった。12年から17年の間
大統領を務めたのはオランド大統領。15年にはイスラム過激派によるパリ同時多発テロが発生している。12年以前は、過激な発言で有名なサルコジ大統領であった。12年の大統領選挙期は、欧州債務危機による金融不況下であった。一方で地中海の対岸ではアラブの春と呼ばれる民主化運動が始まっていた。

 

マクロン大統領とデモ

 17年の大統領選挙で中道政党の共和国前進マクロン大統領が就任した。歴代大統領の中で一番若い。
 この時大統領選を争ったのが、極右政党国民戦線のルペン氏である。国民戦線は、EU、移民排斥を訴えてきた。1972年アルジェリア独立反対運動がきっかけで結成された。1980年代フランス経済の悪化で急激に支持を伸ばした。05年の移民の暴動、15年パリ同時多発テロで支持を急激に伸ばしている。このころ、イギリスのEU離脱問題もあり、EU存続の危機にあったが、マクロン大統領が就任したたためEUは存続可能となった。
 マクロン大統領は、痛みを伴う急激な国内改革を行った。その結果、欧州通貨危機からの不況からようやく脱し(GDP成長率年率2%前後)、失業率が低下した。一方で、大統領の政策は「富裕層・大都市優遇」の批判もあり、支持率は低下している。そのため、パリでは頻繁に「黄色いベスト」デモが発生している。


パリ同時多発テロとオランド大統領

 2012年、オランド大統領が就任した。ミッテラン大統領以来の社会党政権である。
オランド大統領は、前年11年の福島原発事故の影響を受け、原発依存度の引き下げを公約に掲げた。外交は親日的であった。経済政策では、企業優位の労働政策をとることで失業率の低下を図った。この政策を指揮した経済大臣がマクロン氏であった。
 2015年、イスラム過激派によるパリ同時多発テロが発生している。このことのフランスは、イギリス・ドイツに比べ失業率が高い。また、地中海に面している関係でアルジェリアなどからのアフリカからの移民が多い。特に、かつてのフランス植民地アルジェリアセネガル、モロッコな度からの移民が多い。移民の子ども世代の失業率は40%に達していて、疎外感が大きい。

欧州債務危機で退陣するサルコジ大統領

 10年、北アフリカアラブの春が起こる。アラブの春とは、長期独裁政権への反政府運動の総称である。2010年チュニジアで始まったアラブの春は、エジプト・リビアへ波及した。
 09年ギリシアの国家財政の粉飾決算発覚から、欧州債務危機が起こる。ユーロ加盟国の南欧国債の格付けが引き下げられた。フランスの金融機関は、南欧国債を多く持っていたためかなりのダメージを受けた。その影響で、フランス経済は悪化。
 12年の大統領選挙では、失業率が10%に達していたことに加え、サルコジ大統領の庶民とかけ離れた生活スタイルが反感を買い社会党のオランド大統領に敗れた。

 

そのころの日本は

 

sekaishiotaku.hatenablog.com

 そのころの中国は

 

sekaishiotaku.hatenablog.com