10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1870年代のフランス 第三共和制 普仏戦争とパリコミューン、露土戦争とビスマルク宰相

 日本では、明治新政府による近代化政策をすすめる1970年代。
 フランスでは、普仏戦争の敗戦で、ナポレオン三世が失脚。第三共和制が始まる。当初は、ボルドー臨時政府(産業資本家など)とパリコミューン(パリ市民)が対立。最終的には、パリコミューンは武力で鎮圧される。
 70年代後半、露土戦争でロシアがオスマン帝国に勝利する。バルカン半島をめぐって、三帝同盟のロシアとオーストリアが対立。ドイツ帝国ビスマルク宰相は、ベルリン会議を開催。血を流さずにこれをおさめた。

 

 

普仏戦争ナポレオン三世の失脚

 70年のフランスは、ナポレオン三世第二帝政期であった。70年7月スペイン王位継承問題でナポレオン三世プロイセン(のちのドイツ帝国)に宣戦布告。普仏戦争が始まった。当時のプロイセンの宰相はビスマルクである。70年9月ナポレオン三世は、プロイセン軍に拿捕。これを受け、パリ市民が蜂起。第二帝政は崩壊した。
 イタリアはこの混乱期にチュニジア派兵を行う。

臨時政府とパリコミューン

71年、プロイセン軍がパリ入城。ヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝の即位式が行われた。71年2月ボルドーで国民議会が成立。共和派のティエールが組閣。(ボルドー臨時政府)。対ドイツ講和を進め、パリ国民軍の武装解除を命令。71年3月、パリ市民(労働者、市民)がボルドー臨時政府の武装解除を拒否。パリ市民は蜂起した。臨時政府はパリを脱出しベルサイユに移転した。一方は、パリにはパリ市民による自治政府が樹立。パリ=コミューンの始まりである。パリ=コミューンは世界初の労働者の自治政権となった。パリ=コミューンには社会主義者も参加した。しかし、71年5月、パリ=コミューンは崩壊した。この時2万人が殺害され、4万人が逮捕された。同71年5月、ドイツとフランクフルト平和条約を締結。臨時政府は、アルザスロレーヌドイツ帝国に割譲した。パリ=コミューン弾圧後は、共和派と王党派が争う。71年8月、共和派のティエールが初代大統領に就任。75年第三共和政憲法が成立した。

第三共和制

普通選挙、大統領は両院で選出し任期は7年。大統領は名目的元首。
内閣が行政権を握る。

ビスマルクによるフランス包囲網(三帝同盟)

73年、三帝同盟(ドイツ、オーストリア、ロシア)
76年 第1インターナショナル解散
    →大衆的労働運動・社会主義運動が広まる。

エジプトとスエズ運河

 このころ、エジプトは莫大な債務を抱え込んでいた。原因は、69年に完成したスエズ運河の建設費である。本来はフランスが財政支援をして事実上保護国化すべきところであった。しかし、普仏戦争の混乱で財政支援ができなかった。そこで登場したのがイギリスである。75年、イギリスはエジプトからスエズ運河会社の株式の4割を購入。エジプトは、フランス・イギリスの財務管理下に置かれた。
 スエズ運河建設に成功したレセップスは、70年代後半になるとスエズ運河が黒字化。南米のコロンビア政府からパナマ運河建設権を獲得。
 スエズ運河の建設によってスエズ運河の向こう側の東アフリカのエチオピアの重要性が高まった。エチオピアの紅海沿岸部をめぐって、フランス、イギリス、イタリア、エチオピアが対立する。

三帝同盟崩壊の危機 露土戦争とバルカン問題

77年 ロシア=トルコ戦争にロシアが勝利。サンステファノ条約でブルガリアオスマン帝国から独立させ、保護国に置く。これに対し、イギリス、オーストリアが反発。

78年ベルリン会議(バルカン版三国干渉)
 オスマン帝国
  ルーマニアセルビアモンテネグロの独立の承認
  ブルガリアは帝国内の自治
 イギリス → キプロス島を割譲(75年スエズ運河買収)
        フランスからエジプトへの影響力を奪う。
 オーストリアボスニアヘルツェゴビナ統治権を獲得
 フランス → チュニジア進出。(アルジェリアの隣国)
        イタリア(普仏戦争時に派兵)との対立が始まる。
 三帝同盟の崩壊

79年 独露同盟

79年、フランス革命で歌われた「ラ=マルセイエーズ」が国歌になる。
80年、フランス革命が始まった7月14日を祝日に定める。

ベトナムの植民地化

74年ベトナム保護国

 大不況期

 普仏戦争の賠償金やアルザスロレーヌの獲得
  →ドイツ帝国が急速な工業化
  →イギリス商品が売れなくなる。

  企業の集中・独占
 植民地の重要性が高まる。→ 植民地獲得競争へ

 

そのころの日本は

 

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 このころの中国は

 

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