イラン・ペルシアの歴史 番外編 ホルムズ海峡って何?
こんばんは、sekaishiotakuです。
イランが、ホルムズ海峡でタンカー攻撃を実施。アメリカとイランの関係は再び悪化しています。
イランとアメリカの関係については、本編を見てください。
今回は、タンカー攻撃の舞台になったホルムズ海峡の歴史を見ていきます。
ホルムズ海峡ってどこ?
ペルシア湾とアラビア海(インド洋)の間にある海峡
ペルシア湾はUAE、サウジアラビア、イラク、クェートなどの重要産油国が多くここが封鎖されると石油供給に支障をきたす。世界有数のチョークポイント*1である。
歴史
紀元前3世紀
アレキサンダー大王が訪れる。
10世紀
ムスリム商人によってホルムズ王国が成立
アッバース朝の衰退期で
ペルシア周辺ではサーマーン朝やブワイフ朝が成立していた。
ホルムズ王国はインド商人とジェノヴァ(イタリア)商人の中継基地として栄えた。
13世紀
モンゴル(イル=ハン国)の支配下にはいる
このころ、東方見聞録をかいたマルコ=ポーロが訪れている。
14世紀
モンゴル(イル=ハン国)の支配下
オスマン帝国の勢力拡大により
ジェノヴァ商人が訪れなくなり衰退期に入る。
このころ、イスラム圏の歴史家イブン=バットゥーダが訪れいている。
15世紀
ティムール王朝の支配下にはいる
1412年 明王朝(永楽帝)
鄭和の大航海でホルムズ島のホルムズ王に親書を渡す。
1498年
ボルトガル、ヴァスコ=ダ=ガマがインド航路を開拓
16世紀
17世紀
1622年
サファヴィー朝ペルシアのアッバース1世がポルトガルを駆逐
イギリス東インド会社がサファヴィー朝ペルシアを支援
1970年代
イラン革命
親米政権のパフレヴィー朝が倒れ、イラン=イスラム共和国になる。
この革命以降、イランとアメリカの対立は始まる。
1980年代
イラン・イラク戦争時に海峡封鎖
→ 第二次オイルショックにつながる
1990年代
湾岸戦争時、機雷が設置された。
戦争終了後、日本の自衛隊はこの機雷除去をおこなった。
2010年代
UAE、ホルムズ海峡を迂回するパイプラインを建設