1820年代のロシア ロマノフ朝 アレクサンドル1世 ギリシア独立戦争とデカブリストの乱
1820年代、日本は江戸時代後期。徳川家斉の大御所政治のおかげで江戸で化政文化が花開いている。
そのころ、ロシア帝国は
ギリシア独立戦争
背景
フランス革命によって、ヨーロッパに自由主義革命の色が高まった。
神聖同盟は、ギリシアの独立に反対の姿勢をとった。
ロシアがギリシアを支援
イギリス、フランスもギリシアを支援
→ ロシアの南下政策(東地中海への進出を警戒)
オーストリアは、中立
24年 ドラクロワ「キオス島の虐殺」
ギリシア独立戦争中のオスマン軍の虐殺を描写
ギリシア支援の世論が増長
30年 ギリシア正式に独立
ロシア帝国、アラスカへ進出
21年 アラスカ領有
24年 アメリカと国境設定
当時のアメリカは、米英戦争に勝利。西部への開拓を進めていた。
フランス革命の影響を受けた青年将校の反乱(デカブリストの乱)
25年 デカブリストの乱鎮圧
ニコライ1世、即位
カジャール朝ペルシア、オスマン帝国(トルコ)へも侵攻
26年 第2次ロシア=イラン戦争開戦
28年 第2次ロシア=イラン戦争終戦
28年 ロシア=トルコ戦争
29年 ロシア=トルコ戦争終結
次回予告
「1810年代のロシア ロマノフ朝 アレクサンドル1世
ナポレオン戦争に勝利し、強国の仲間入り」
このころ、日本は
ロシアの標的となったカジャール朝ペルシアは