10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

紀元前4世紀のペルシア マケドニア アレキサンダー大王の東方遠征

紀元前4世紀、中国は春秋戦国の戦乱期であった。

このころ、ペルシアはアケメネス朝ペルシアが治めていた。アケメネス朝ペルシアは、オリエント全域を支配していた。しかし、ギリシアアレキサンダー大王が登場。瞬く間にアケメネス朝ペルシアは滅亡した。

 

 


アレキサンダー大王の東方遠征

 当時、アケメネス朝ペルシアは、オリエント(中東)全域を支配していた。
 しかし、ペルシア戦争ペロポネソス戦争への介入で疲弊していた。
 さらに、王弟キュロスの反乱やサトラップ(地方長官)の反乱によって、勢力が衰え始めた。

36年 アケメネス朝ペルシア、ダレイオス3世即位

 ダレイオス3世は、アケメネス朝ペルシアの最後の皇帝となる。

36年 マケドニアアレキサンダー大王即位

 マケドニアは、ギリシア北部の国。ペルシア戦争ペロポネソス戦争で疲弊したギリシアを統一していた。

34年 アレキサンダー大王の東方遠征(ペルシアへの侵攻)

30年 アケメネス朝ペルシア 滅亡

27年 アレキサンダー大王、ペルシアへ侵入

27年 アレキサンダー大王、インドのインダス川まで侵攻

 当時、インドは分裂状態であった。しかし、アレキサンダー大王の侵攻で危機感をおぼえ、インドは統一の動きができ始める。12年インドでマウリヤ朝が誕生する。

24年 アレキサンダー大王の集団結婚式

 アレキサンダー大王の側近たちは、ペルシア貴族の娘と結婚した。
 アレキサンダー大王自身も、アケメネス朝の王女2人を娶った。

アレキサンダー大王が亡くなり、オリエントは再び分裂

23年 アレキサンダー大王、病死
   → マケドニアは後継者争いで分裂
     アンティゴノス朝マケドニアギリシア
     プトレマイオス朝エジプト
     セレウコス朝シリア(シリア、メソポタミア、ペルシア)

ギリシア文化とオリエント文化の融合(ヘレニズム文化)

 アレキサンダー大王の侵攻によって、多くのギリシア人がオリエントへ移住。
 彼らはギリシア文化をオリエントに伝えた。
 これにより、ギリシア文化とオリエント文化が融合。
 ヘレニズム文化が誕生した。

 また、このころ、ギリシア語(コイネー)が中東の公用語になった。

このころ、東アジアは

 

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 このころ、ヨーロッパは

 

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