紀元前3世紀のフランス 共和政ローマ イタリア半島統一とポエニ戦争
紀元前4世紀、中国では春秋戦国の戦乱が終わり、秦王朝が成立した。漫画キングダムの舞台になった時代である。
そのころ、ヨーロッパの共和政ローマは、イタリア半島を統一。しかし、共和政ローマはさらなる拡大を目指した。東のギリシア(マケドニア)、南の北アフリカ(カルタゴ・フェニキア人)との戦争が始まる。
これらの戦争では、平民の助けが必要になった。そのため、平民への参政権はさらに拡大していった。
平民の参政権拡大とイタリア半島の統一
紀元前03世紀
87年 ホルテンシウス法
平民会の決議に元老院(貴族)の承認が不要
ギリシアと違い、富裕層にしか参政権が認められていない。
→ ギリシア 海軍が多い
舟のこぎ手が必要
人の数が勝負
貧困層も重要な兵力
→ ローマ 陸軍が多い
武器を持たない兵士は不要
※ 当時、武器は自前
人の数より武器が重要
貧困層は兵力にならない。
新たな敵の登場、ポエニ戦争
イタリア半島を統一した共和政ローマは、さらに領土拡大に向かった。北アフリカのカルタゴ(フェニキア人)とギリシアのマケドニア(元アレキサンダー大王の国)である。
64年 第1次ポエニ戦争
フェニキア人のカルタゴとの戦争が始まる。
41年 ローマ、第1次ポエニ戦争でカルタゴに勝利
最初の属州、シチリア島をカルタゴからもらう。
シチリア島は、ローマ最大の穀倉地帯。一気に豊かになる。
貴族を中心に戦争捕虜を使った大規模農場が始まる。
一方で、大量の穀物(小麦)の流入で穀物価格が下落
農民の生活が困窮する。
→ 格差社会の到来
18年 第2次ポエニ戦争始まる。
ハンニバルが活躍した戦争がこれ
ハンニバルは、冬のアルプス山脈を越えてローマの背後をつく戦法をとった
15年 ギリシアに向けて、マケドニア戦争が始まる。
第二次ポエニ戦争で苦戦中の戦争のため、苦戦。
しかし、アテネなどのアカイア同盟の反乱もあち、マケドニアも苦戦。
和平に持ち込めた。
00年 マケドニアとセレウコス朝シリアが同盟
第二次マケドニア戦争へ
原因1.アカイア同盟の要請
原因2.第二次ポエニ戦争でカルタゴを支援
01年 第2次ポエニ戦争が終わる。
共和政ローマは、再びカルタゴに勝利した。
次回予告
「紀元前4世紀のフランス 共和政ローマ イタリア統一戦争と平民参政権の拡大」
このころの中国は