10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

12世紀のインド ラージプート時代 アフガンのイスラム勢力が北インドを統一

 12世紀、日本は平安時代末期。平清盛が活躍した時代である。

 このころ、インドはヒンドゥー教勢力が支配していた。7世紀のヴァルダナ朝が滅亡して以降、インドには統一国家はなかった。北インドと南のデカン高原で分裂していた。これらのヒンドゥー教国家は、12世紀に滅亡した。これらの国を滅亡させたのはアフガンのイスラム勢力である。今回は、前半で7世紀以降のラージプート時代のことを学び、後半でこれらの国がいかにして滅亡したかをみていきます。

 

 

前回までの復習 デリー=スルタン朝

 13世紀から15世紀まで、デリー=スルタン朝が続いていた。その共通点は2つである。北インドのデリーに拠点を置き、北インド全域(一時期全インド)を支配していた。もうひとつは、イスラム教の国であったことである。300年にわたるデリー=スルタン時代によって、イスラム教とインド文化が融合していった。これがムガル帝国時代のインド=イスラム文化につながる。


インド版南北朝時代、ラージプート時代

 今回から、新章に突入する。7世紀から12世紀のラージプート時代である。これは、7世紀後半のヴァルダナ朝の滅亡から13世紀初頭の奴隷王朝(デリー=スルタン朝)の成立までの時代を指す。

インドは南北に分裂

7世紀後半から12世紀末まで、南北2つのヒンドゥー教国が存在した。デリーを中心とした北インドのチャーハマーナ朝と南部デリー高原を中心とした後期チャールキヤ朝である。
 北インドのチャーハマーナ朝は、10世紀半ばに成立。イスラム勢力を何度も撃退するも、92年にイスラム勢力、ゴール朝アフガンによって滅亡した。
 南インドの後期チャールキヤ朝は、10世紀半ばに成立。11世紀後半に全盛期を迎えるも、諸侯の独立により衰退し12世紀末に滅亡した。

3つの宗教

 ラージプート時代は、宗教対立の時代でもあった。インドでは3つの宗教が互いに勢力争いを行っていた。これが現在のインドの神秘性をはぐくんでいる。

ラージプート勢力が信仰していたヒンドゥー教

 ラージプート勢力は、インド古来の宗教ヒンドゥー教を信仰していた。ヒンドゥー教は4世紀グプタ王朝の時代に成立した多神教の宗教である。現在も多くのインド人が信仰している。ベースにあったのはバラモン教である。バラモン教カースト制度がその基礎にあり、善い行いをすれば来世、より高い階級で生まれ変われるという思想である。そのため、インドでは階級による差別が存在した。
 また、ヒンドゥー教では牛は神聖な動物とされている。そのため、ヒンドゥー教徒は牛肉を決して食べない。当然、インドではビーフカレーなどは存在しない。
 ヒンドゥー教は、日本の神道のように教祖や経典は存在しない。これはインド古来の伝統宗教民族宗教から発展したものであるからである。
 そのため、ヒンドゥー教徒他の宗教に対して寛容であった。これが、インド=イスラム文化の基礎になる。

西から侵攻してきたペルシア・アフガンのイスラム勢力

 一方、13世紀以降に成立したデリー=スルタン朝はイスラム教を信仰している。このイスラム教が成立したのは7世紀のことである。インドではヴァルダナ朝の時代である。
 ラージプート時代とは、イスラム教の歴史で見ると、イスラム教の成立、拡大、分裂の歴史である。今回のイスラム今日の歴史をサイドストーリーとして話していく。

東では仏教国パーラ朝がナーランダー僧院を守る

 一方、インド北東部のガンジス川下流域は、仏教国パーラ朝が治めていた。パーラ朝が支配していた地域は、ムガル帝国時代ベンガルと呼ばれていた。この地域はパーラ朝時代まで仏教国であったため比較的ヒンドゥー教徒が少ない。そのため、第二次世界大戦後、パキスタンとしてイスラム勢力側で独立した。現在のバングラデシュである。
 パーラ朝は、8世紀半ばに成立。ラージプート勢力と三国時代を形成していた。パーラ朝は、5世紀グプタ朝時代に建設されたナーランダー僧院を守り続けていた。7世紀のヴァルダナ朝時代に唐王朝の僧、玄奘や義浄もここで学んだ。
 しかし、13世紀に入るとイスラム勢力ゴール朝アフガンが侵攻。パーラ朝はこれにより滅亡した。このとき、ナーランダー僧院は破壊された。ちなみに2016年ナーランダー僧院は世界遺産に登録された。
 パーラ朝の滅亡によって、インドの仏教勢力は一掃された。しかし、東南アジアでは仏教国は顕在した。11世紀に成立したパガン朝ミャンマーである。現在でもミャンマー、タイ、スリランカなどでは上座部仏教が信仰されている。

南インドのタミル人国家 後期チョーラ朝

 インドの南部にはタミル人王朝後期チョーラ朝が成立していた。
 タミル人とはインドの先住民族ドラヴィダ人の一派。紀元前1000年頃にアーリア人によって北インドを追われ、南インドへ移住した。彼らはヒンドゥー教を信仰している。タミル人の一部はスリランカへ渡った。現在(21世紀)に起きているタミル人問題は仏教とのスリランカ人によるタミル人への人種差別問題である。
 後期チョーラ朝は、9世紀に成立。インド洋交易で繁栄した。中国の宋王朝への朝貢も行っていた。13世紀後半、宋王朝が滅亡すると、後期チョーラ朝パーンディヤ朝によって滅亡。このパーンディヤ朝も14世紀初頭、ハルジー朝(デリー=スルタン朝)によって滅亡した。(ハルジー朝の全インド統一)
 

イスラム勢力のインド侵攻


ガズナ朝アフガンの北インドへ侵攻

 当時、インドの北東アフガンではイスラム勢力のガズナ朝が治めていた。ガズナ朝は何度もインドへ侵入。ラージプート勢力と戦った。しかし、12世紀に入ると国力は落ちていた。その要因は、11世紀にバグダード入城を果たしたセルジューク朝トルコである。セルジューク朝はたびたび、ガズナ朝へ侵攻していた。さらに12世紀後半になると、ガズナ朝の東でゴール朝が独立した。

ゴール朝アフガンが、北インドを統一

 48年、アフガンのゴール朝がガズナ朝から独立した。建国者はムハンマドである。86年には、ガズナ朝を滅ぼし、アフガンとペルシア(イラン)を支配した。92年、チャーマハーナ朝を滅ぼし、北インドを平定。
 13世紀に入ると、バングラデシュのパーマ朝を滅ぼした。このときナーランダー僧院を破壊した。バングラデシュのパーマ朝はインド最後の仏教王朝である。これ以後、仏教はミャンマーやタイ、スリランカなどで仏教が生き残った。
 その後、インドの統治は、マムルーク(トルコ系軍人奴隷)のアイバクに任せ、ムハンマドはアフガンへ帰った。アフガンでムハンマドが暗殺されるとゴール朝は分裂した。アイバクもこの時に独立し、北インド奴隷王朝を建国した。ゴール朝本体は、1215年にホラズムによってほろぼされた。

ホラズム国

 11世紀にセルジューク朝トルコから独立したイスラム国家。しかし、この時は中央アジアの小国に過ぎなかった。しかし、13世紀初頭、ゴール朝アフガンが分裂すると急速に台頭。しかし、この時代は長くは続かなかった。13世紀初頭、モンゴルのチンギス=ハンの攻撃によって滅んだ。

 

この頃の日本は

 

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 インドを征服したイスラム勢力とは

 

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 タミル人も朝貢した宋王朝

 

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