10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

9世紀のインド ラージプート時代 ラージプート勢力三国志

 9世紀、日本では平安時代初期。都が京都に移ったころである。

 この頃、インドはラージプート時代の戦乱期である。このころ、イスラム教のアッバー朝は最盛期が終わり、分裂期を迎えていた。そのため、イスラム教の脅威が薄らいだ頃であった。ラージプート勢力の最盛期になった。

 

 


イスラムアッバース朝の分裂

 9世紀初頭、アッバース朝は全盛期を迎えていた。中央アジアから北アフリカまでの大帝国になっていた。しかし、09年三代目カリフハールーン=アッラシードがなくなると、アッバース朝は分裂を始めた。

サーマーン朝、奴隷売買で栄える。

 8世紀後半になるとペルシア東部でサーマーン朝がアッバース朝から独立した。サーマーン朝はイラン(ペルシア)人のイスラム教国家である。サーマーン朝は、中央アジアへ侵攻。トルコ系騎馬民族を奴隷にし、分裂したイスラム国家群に販売した。奴隷にされたトルコ系騎馬民族は主に軍人として活躍した。彼らはマムルークと呼ばれた。
 イスラム教では、アッラーの下で平等を唱えているので奴隷は禁止されている。しかし、例外はある。それは異教徒である。異教徒は当然イスラム帝国の外にある。そのため、奴隷を利用した国は辺境国に存在する。その代表例はサーマーン朝のマムルークオスマン帝国のイェニチェリである。

ラージプート三国志

 9世紀、イスラム勢力は分裂の混乱期である。一方で、インドではラージプート時代の最盛期を迎える。その中心となったのは3か国である。北インド(未来のデリー周辺)のヒンドゥー教国プラティハーラ朝、南インドデカン高原)のヒンドゥー教国ラシュトラクータ朝、そして東インド(未来のベンガル州)のパーラ朝である。

北インドのプラティハーラ朝

 プラティハーラ朝は、ラージプート勢力の一つで北インドに勢力を持っていた。建国は、8世紀で9世紀に全盛期を迎えた。おもにヒンドゥー教を信仰していた。

 プラティハーラ朝の都はデリーではなく、カナウジであった。カナウジは7世紀ヴァルダナ時代に作られた都である。この都は、11世紀、ガズナ朝のマフムードによって破壊され、プラティハーラ朝とともに滅亡した。その後、北インドの中心都市となったのは、13世紀の奴隷王朝(デリ=スルタン朝)が作ったデリーに移るころになる。

南インドのラシュトラクータ朝

 ラシュトラクータ朝は、ラージプート勢力の一つで南インドデカン高原を勢力圏としていいた。8世紀の中ごろに建国。10世紀末に後期チャールキヤ朝によって滅ぼされた。ヒンドゥー教を信仰している。

バングラデシュの仏教国パーラ朝

 東インドベンガル州)には、パーラ朝が存在していた。パーラ朝は他の2つ国と異なり仏教を信仰していた。このパーラ朝は、9世紀初頭に全盛期を迎えていた。パーラ朝は、ナーランダー僧院を復活させた。

南インドに後期チョーラ朝

パッラヴァ朝の官僚が建国。
パッラヴァ朝を倒す。当時、パッラヴァ朝は、パーンディヤ朝との抗争や内紛で衰退していた。

この頃の日本は

 

sekaishiotaku.hatenablog.com

 このころのイスラム勢力は

 

sekaishiotaku.hatenablog.com