10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1890年代のイギリス 3つの論点、労働者問題とアイルランド問題と植民地戦争

 1890年代、日本は明治時代。このとき、日本は日清戦争に勝利した。

 イギリスは、日清戦争の結果をみて、アジアでのパートナーを清王朝から日本の明治政府へ切り替えた。このイギリスでは、

 

前回のまでの復習 20世紀のインド

 今回から19世紀(1801年~)に入っていきます。その前に20世紀のイギリスを復習していきましょう。端的に言えば、イギリスの没落の歴史である。イギリスは今でも常任理事国の一つである強国であることは否定しない。しかし、20世紀初頭のイギリスは現在のアメリカ以上に他国に差をつけるほどの大帝国であった。

 しかし、第一次世界大戦第二次世界大戦の戦費でだいぶ国力を失った。また、労働党政権により社会保障費も増大した。また、2つの世界大戦によって独立運動が盛んになり世界中の植民地を放棄することになった。

 これにより、第二次世界大戦後には世界のリーダーの地位をアメリカに譲り渡し、60年代には、西ドイツ、フランス、日本に経済力で抜かれていった。そして、70年代にはEUに加盟することとなった。この視点で見れば、21世紀のブレグジットはイギリスの反撃ののろしといえなくもない。

 さて、今回から、19世紀のイギリスを見ていく。19世紀のイギリスはイギリスが世界のリーダーになっていく過程を見ていくことになる。そのなかで、今回は20世紀に引き継ぐことになったイギリスの3つの課題を再確認していきます。

 


イギリスの政治、労働者のための政治

 19世紀初頭、イギリスは世界に先駆けて産業革命を達成した。これによって、都市の人々に格差が生じた。少数の資本家階級と多数の労働者階級に分かれた。この労働者階級の待遇改善が19世紀の歴史といっても過言ではない。

 一方で、独立労働党が成立した。独立労働党は、選挙法改正とともに勢力を拡大していった。

 19世紀後半のイギリス政治は、自由党と保守党の2大政党制が確立していた。90年代、保守党の党首は、ソールズベリー党首。自由党グラッドストーンからローズベリーへ世代交代が行われたころである。90年代は3年(92年から95年)ほど自由党政権が成立したがその時期以外はソールズベリー首相が務めた。この頃になると、自由党と保守党に差がついてきた。80年代に自由党が分裂。一部の自由党議員が保守党に流れたためである。

 このころ、初等教育法や8時間労働制など労働者向けの法律が成立。労働者保護法もこの時期に成立した。それを指揮したのは自由党を離党したジョセフ=チェンバレン元首相である。

 

イギリス版朝鮮問題こと、アイルランド問題

 アイルランドは、イギリスの西にある島である。17世紀にクロムウェルが占領されて以来、アイルランドはイギリス領となっていた。

 80年代以降、自由党グラッドストン首相はアイルランド自治法を何度も提出した。下院(日本でいう衆議院)は通過しても、上院(貴族院)を通すことはできなかった。

植民地競争

ヴェルヘルム2世と海軍増強競争

90年代、ヨーロッパの外交関係は大きく変わった。それは、ヴェルヘルム2世の即位とビスマルクの引退である。ビスマルクは元々ユンカー出身で工業品の輸出にはそれほど興味がなかった。そのため、イギリスをことを構えない程度の小規模な植民地政策を進めていた。しかし、ドイツの工業生産量は、イギリスに匹敵するようになっていた。そのため、ドイツも本格的に植民地獲得競争に参加した。

 ヴェルヘルム2世は、ロシアとの再保障条約の更新を拒否した。これにより、ロシアは露仏同盟を締結。フランス資本を用いてシベリア鉄道を完成させた。

 また、軍艦の建設を進めた。これは圧倒的な海軍力をもつイギリスに匹敵するようになった。そのため、No1の地位を確保するためイギリスも海軍に金をかけざるを得なかった。

日清戦争と中国分割

 極東でも大きな動きがあった。朝鮮半島をめぐり日清戦争が勃発。日本が勝利した。植民地政策で出遅れたドイツのヴェルヘルム2世は中国の植民地化に参加するチャンスととらえた。ロシア、フランスを誘い、日本政府に三国干渉を行った。

 これにより、清王朝は領土を少し回復したものの莫大な陪食金を科せられた。その資金をドイツ、ロシア、フランスから工面した。これにより華北はドイツとロシアが江南にはイギリスとフランスの勢力圏が誕生した。イギリスはアロー戦争以降長江流域に勢力圏を確保していたが、この中国分割に対して危機感を抱いた。そのため、清王朝に海軍基地(租借地)を確保させた。北方の威海衛と南の香港である。

 また、アメリカは中国分割に出遅れた。そのため、門戸開放宣言をだすもその効果はなかった。

南アフリカでブーア戦争

 イギリス領の南アフリカの内陸部で80年代金鉱山とダイヤモンド鉱山が発見された。イギリス人はこのゴールドラッシュをうけ内陸部へ進出した。この地はもともとオランダ系白人の居住エリアであった。そのためオランダ系白人が反乱を起こした。ブーア戦争である。

 このブーア戦争とドイツとの建艦戦争でイギリスの財政力はひっ迫するようになった。

 

この頃の日本は

 

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 分割される中国

 

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