10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

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1890年代の中国 清王朝 西太后 日清戦争で朝鮮を失う。三国干渉で中国分割が始まる。

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中国分割の状況

 1890年代の清王朝は、衰退期にあった。95年、日清戦争で日本の明治政府に敗北。帝国主義時代に入ったヨーロッパ諸国は、この結果を受けて清王朝の半植民地化をはじめる。(中国分割)。清王朝の光緒帝は、日清戦争の敗北をうけて、康有為らの意見を取り入れ、律令制から明治政府に倣った立憲君主制へ移行しようとした。しかし、西太后ら保守派のクーデターで失敗した。また、孫文ら留学生や華僑(中国国外にすむ商人)らを中心に革命勢力が生まれ始めた。

 

 1890年ごろの清王朝は、植民地政策をひくヨーロッパ諸国との戦争や民衆の反乱で疲弊していた。政治は光緒帝の世で、西太后が仕切っていた。一方で太平天国で清の正規軍の弱体化が判明。李鴻章漢人官僚の民兵が主力部隊になっていた。外交では、多くの朝貢国がヨーロッパ諸国の植民地になり、唯一の植民地は李氏朝鮮のみとなっていた。
 94年、朝鮮半島の農民反乱の鎮圧をきっかけに、日清戦争が起こる。明治維新で国民軍を成立させた日本明治政府軍と李鴻章ら傭兵部隊の清王朝軍の戦い。軍備や兵士数では圧倒的に清王朝が優位だったのですが、士気で大きな差異が生じ、95年清王朝は日本軍に敗北した。
 下関条約では、清王朝の最後の朝貢国朝鮮の独立。朝鮮の北にある首都北京近郊の遼東半島、沖縄の南の台湾を日本に割譲。多額の賠償金の支払いが生じた。これに危機感を感じたのがロシアでした。ロシアは、沿海州で朝鮮と国境を接していて危機感を感じていた。ロシアは、露仏同盟下のフランス、ヴェルヘルム2世の下植民地拡大にいそしむドイツとともに三国干渉を行った。三国干渉によって、清王朝遼東半島が返還されたが、さらに賠償金の積み増しが行われた。
 これにより、清王朝の弱体化はヨーロッパ諸国(列強)に知れ渡り、また多額の賠償金により財政がさらに悪化した。これにより、ヨーロッパ諸国は、中国の半植民地化を始めた。ヨーロッパ諸国は、清王朝から、軍事拠点を租借するとともに、勢力圏に鉄道敷設権や鉱山開発権を取得した。植民地化を行ったのは、以下の五か国である。

ロシア 三国干渉を率いた国。ニコライ2世の時代。不凍港をもとめてイギリスとグレートゲームを行っている。日本海にウラジオストークを獲得したが、対馬津軽海峡で太平洋に出れずにいた。
フランス 露仏同盟により三国干渉に参加。産業資本家や自営農家が中心の第三共和制下。清仏戦争で得た東南アジアのベトナムを植民地にしている。
ドイツ 三国干渉に参加。植民地化政策を進めるヴェルヘルム2世の時代。ビスマルク外交の影響で植民地政策ではでおくれている。
イギリス 三国干渉に不参加。アヘン戦争で最初に中国に拠点を構える。
日本 日清戦争に勝利
アメリ 南北戦争で出遅れ。98年スペインに戦争で勝利。フィリピンを獲得。90年代には中国に勢力圏を持つことができず。99年に門戸開放宣言

華北の状況
ロシア 万里の長城の以北や遼東半島満州中国東北部)を勢力圏。遼東半島により、東シナ海へ出るルートを獲得。
ドイツ 遼東半島の対岸、余り物の山東半島を勢力圏
イギリス 勢力圏はないものの、山東半島の先端威海衛を租借。ロシアの東シナ海での軍事行動を警戒。
日本 朝鮮半島に進出するが、華北には勢力圏を持っていない。

江南の状況
イギリス アヘン戦争で獲得していた香港周辺と長江流域を勢力圏
フランス ベトナムに近い香港の西側~雲南省を勢力圏に
日本 日清戦争で獲得した台湾の対岸福建省サントリーのウーロン茶の産地)を勢力圏に。イギリスの勢力圏に挟まれる語りになる。

 一方、敗戦後の清王朝は政治改革を行っていた。光緒帝は、康有為ら新法派の意見を取り入れ、立憲君主制に向かおうとした。明治政府と1880年代に行った憲法制定や国会開設を実施しようとした。しかし、これらの改革は西太后ら保守派のクーデターにより、実行には移らなかった。これ以後、光緒帝は幽閉され、西太后が政治を取り仕切るようになる。
 一方、アメリカに併合されたハワイでは、中国人留学生の孫文が興中会という革命勢力を創設。留学生や華僑(外国に移住した中国人)が中心となった。
 そのような中、ドイツ勢力圏の山東半島武装集団義和団が結成。ヨーロッパ諸国(列強)の半植民地化に反対し、教会や鉄道の破壊を行った。


そのころ日本は

 

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