10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

1990年代のイギリス ブラウン首相、EU加盟に揺れる

 1990年代、日本は平成時代。バブル崩壊から始まる不況期に入っていった。

 このころ、イギリスの首相は、保守党のブラウン首相が務めていった。

 

 前回の復習 2000年代のイギリス

 2000年代、労働党のブレア首相の時代であった。そして、2010年代に入ると再び政権交代がおこり、保守党政権が樹立された。EU離脱問題も顕在化した。
 今回は、労働党ブレア政権の成立過程と、EU加盟の過程を見ていきます。

90年 保守党メージャー首相、サッチャーイズムを引き継ぐか否か

 90年、サッチャー首相からメージャー首相に引き継いだ。

外交、親米 OR 親EU 

 第二次世界大戦後のイギリス外交史を見るうえで重要な視点は、親米か親EU化である。前政権の保守党サッチャー首相は、親米的であった。

湾岸戦争

 湾岸戦争は、中東イラククウェート侵攻に対して、アメリカを中心とした多国籍軍イラクを攻撃した戦争。

 サッチャー時代は、親米的な政策を進めていた。当然、湾岸戦争にも参加した。メージャー首相は当初その政策を引き継いだ。

 

EU成立(マーストリヒト条約

 マーストリヒト条約とは、EU成立についてのEC加盟国間の条約である。

 EUは、EC加盟国をもとに結成された組織。国家の権限を一部EUに委譲し、共通の外交・安全保障政策を持ち、統一通貨EUの導入を持つ。国会に当たる欧州議会や内閣にあたる。統一憲法も作られたが、フランスなどの一部の国でまだ批准ができず。2019年時点どもまだ効力を持っていない。

 メージャー首相は、マーストリヒト条約には賛成したが、社会保障の共通化と統一塚についてはイギリスは対象外とする条項を付け加えた。

 マーストリヒト条約は91年12月に成立した。イギリス議会も、92年5月、イギリス議会も批准した。しかし、翌92年デンマーク議会でマースリヒト条約を否決。イギリス議会もマーストリヒト条約の審議がストップした。保守党のサッチャー前首相はマーストリヒト条約国民投票を要求した。また、大物投資家ジョージ=ソロスは、ポンドのたたき売りを仕掛け、イングランド銀行はポンドの切り下げを行った。これにより、ユーロへの加入は困難となった。

 翌93年5月、デンマーク国民投票を開催。デンマークマーストリヒト条約を批准した。これにより、イギリス議会もマーストリヒト条約を完全に可決した。

 このとき、労働党の他、一部の保守党議員が反対に回った。この時から、保守党はEU賛成派とEU反対派に分裂。これが2010年代のブレグジット問題につながる。また、94年の総選挙では独立党が得票率3%を獲得した。

ボスニア紛争

 92年のアメリカ大統領選挙で、共和党ブッシュ大統領が敗北。民主党クリントン大統領が誕生した。これにより、英米関係は冷めていった。

 特に、クリントン首相は親アイルランドの立場をとっていた。ちなみに、同じ民主党ケネディ元大統領はアイルランド移民である。このことが、英米関係をさらに悪化させた。

  東欧革命が進む中、91年バルカン半島ユーゴスラヴィアが解体した。92年3月、旧ユーゴスラヴィアのひとつ、セルビアボスニアヘルツェゴビナが独立を宣言。ボスニアヘルツェゴビナ独立戦争が始まった。

 95年、和平が実現。ボスニアヘルツェゴビナの独立が成立した。

 クリントン大統領は、反セルビアを明確にした。しかし、イギリスのメージャー首相はこれを明確にしなかった。

内政、サッチャーイズムを引き継ぎ民営化を進める。

 メージャー首相は、サッチャー前首相の経済政策を引き継ぎ、民営化政策を進めていた。93年には、失業率をさげるため、最低賃金制度を廃止した。しかし、このころになると民営化の問題点も明確になっていた。

 このころになると、政治スキャンダルが続出。アイルランドの反英テロや狂牛病問題で支持率を大きく失う。また、メージャー首相は「理念なき政治家」という悪評もあり、97年総選挙で大敗。労働党に政権を引き渡す。

 

97年 労働党ブレア政権の成立

新しい労働党

 労働党は、80年代以降長きにわたり野党の時代と続けていた。その理由は、労働組合への遠慮でサッチャー首相のような大胆な改革を行うことができなかった。

 ブレア首相は、労働組合の影響力をへらし、自由主義経済と福祉政策の両立で97年総選挙で勝利した。自由主義経済は、従来の労働党ではできなかった政策であり、社会福祉の充実は、80年代以降の保守党政権ではできなかった政策である。

香港返還

 97年、ブレア首相は香港を中華人民共和国へ返還した。香港は1842年のアヘン戦争清王朝から割譲した土地で、1860年アヘン戦争で、近隣の九龍半島まで拡大していた。

ダイアナ妃の交通事故死

 ダイアナ妃は、チャールズ皇太子の妃。ウィリアム王子など2名の王子に恵まれた。地雷除去などの慈善活動を行った。しかし、96年、離婚。97年パリで交通事故に遭い亡くなった。

最低賃金の導入

 ブレア首相は、93年に保守党ブラウン首相が廃止した最低賃金制度を復活させた。

IRA暫定派との和平合意

 イギリスの大きな国境問題で北アイルランド問題がある。アイルランドの北部は減算も、UK(イギリス)である。それは、この地域はアイルランドとはことなり、UKと同じプロテスタントを信仰する人が多かったためである。

 この地域をめぐり、アイルランドとイギリスは対立していた。96年には、アイルランドの反英テロも過激した。一方で、アメリカのクリントン大統領は親アイルランド政策をとっていた。

 その経緯もあり、イギリスのブレア首相はアイルランドとの和平合意に持っていくことができた。

このころ日本は

 

sekaishiotaku.hatenablog.com

 香港が返還された中国は

 

sekaishiotaku.hatenablog.com