10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1890年代 明治時代 日清戦争

1890年代のアメリカ 米西戦争とマッキンリー大統領

1890年代、清王朝が日清戦争に敗北。90年代後半に一気に中国分割に進んだ。しかし、アメリカはこの中国分割に参加することができなかった。そのために出されたのがジョン=ヘイの門戸開放令である。20世紀に入ると、列強から中国市場を獲得するために動き出…

1890年代のトルコ・ギリシャ ドイツ帝国の3B政策

1890年代、清王朝が日清戦争で日本に敗北。列強の植民地競争はついに東アジアへ到達した。 そのような中、オスマン帝国などの中東諸国は一時の平和が訪れた。そのような中、ドイツ皇帝ヴェルヘルム2世が来訪した。オスマン帝国は乗ってはいけないバスに乗っ…

1890年代のイギリス 3つの論点、労働者問題とアイルランド問題と植民地戦争

1890年代、日本は明治時代。このとき、日本は日清戦争に勝利した。 イギリスは、日清戦争の結果をみて、アジアでのパートナーを清王朝から日本の明治政府へ切り替えた。このイギリスでは、

1890年代のインド イギリス領インド 大英帝国の植民地政策

1890年代、明治時代。日本が日清戦争に勝利したころである。 このころのインドは、イギリスの植民地であった。当時のイギリスは世界最大の植民地を保っていた。今回は、イギリスの植民地政策をみながら当時のインドの様子を見ていきましょう。

1890年代のロシア ロマノフ朝 アレクサンドル3世 露仏同盟と中国進出

1890年代、日本が日清戦争の勝利で沸いていた。 このころ、ロシアは東西の大事件で変革期を迎えていた。 西のドイツでは、ビスマルクが引退。ドイツとの再保障条約が更新されなく、露仏同盟の締結となった。 東の清王朝(中国)は日清戦争に敗北。ロシアは、…

1890年代のペルシア カジャール朝 タバコボイコット運動

1890年代、日本は日清戦争の勝利に沸いていた。これにより、ヨーロッパの植民地競争は清王朝までに達した。 そのころ、ペルシアは、イギリスとロシアのグレートゲームの最中にいた。それに反発するかのようにタバコボイコット運動が始まった。

1890年代のフランス 第三共和政 ドレフュス事件とアジアアフリカの植民地化。

1880年代からはじまった植民地獲得競争は、90年代に入るとドイツが本格参戦を始めた。そのような中、フランスは、アフリカではアルジェリアを、アジアではベトナムを拠点に進められた。アフリカでは、アフリカ横断政策をすすめる。アジアでは、清王朝が日清…

1890年代の中国 清王朝 西太后 日清戦争で朝鮮を失う。三国干渉で中国分割が始まる。

中国分割の状況 1890年代の清王朝は、衰退期にあった。95年、日清戦争で日本の明治政府に敗北。帝国主義時代に入ったヨーロッパ諸国は、この結果を受けて清王朝の半植民地化をはじめる。(中国分割)。清王朝の光緒帝は、日清戦争の敗北をうけて、康有為らの…

1890年代の日本 明治(日清戦争) 国民軍体制の日本が傭兵軍団の清を破る。

朝鮮の独立をめぐり、日清戦争がおこる。戦力は圧倒的に清が優勢であったが、清軍はほぼ傭兵で忠誠心が低く、明治維新で国民軍体制を確立した日本が勝利した。日清戦争に勝利すると、清の最後の冊封国朝鮮を独立させ、清からは多額の賠償金とともに台湾と朝…