1890年代、日本が日清戦争の勝利で沸いていた。
このころ、ロシアは東西の大事件で変革期を迎えていた。
西のドイツでは、ビスマルクが引退。ドイツとの再保障条約が更新されなく、露仏同盟の締結となった。
東の清王朝(中国)は日清戦争に敗北。ロシアは、イギリスなど列強とともに中国分割に参加した。
ビスマルク引退と露仏同盟
90年 ドイツ、ビスマルク引退
ドイツロシア再保障条約は更新されず。
ヴェルヘルム2世が即位すると、ビスマルクを引退させる。
ビスマルクのヨーロッパ諸国への農産物輸出政策から、
ヴェルヘルム2世の植民地への工業製品輸出政策へシフト
その政策の一環で3B政策を進める
ベルリン~ ビザンティウム(イスタンブール)~ バクダード
~ ペルシア湾 ~ インド洋 の鉄道の建設
バルカン半島への影響力を強めたいロシアは仮想敵国
→ 再保障条約の更新をやめる
91年 露仏同盟
ビスマルク外交(フランス孤立化政策)の終焉
フランス資本が流入
→ シベリア横断鉄道 起工
日清戦争と中国分割
94年 ニコライ2世、即位
ロシア革命で処刑されるロシア最後の皇帝
94年 日清戦争
95年 三国干渉
ロシアは、フランス、ドイツとともに日本と三国干渉
賠償金の積み増しと引き換えに
朝鮮半島の北、遼東半島を返還
中国分割へ
清王朝は、日清戦争の賠償金等で財政が悪化
三国干渉に参加したロシア、フランス、ドイツなどから借款
見返りに中国の一部を分割
ロシアは遼東半島を租借
これで、対馬を通らずに太平洋へ抜けるルートを獲得
この地は、三国干渉で日本から返還させた地域
対岸の膠州湾は、ドイツが租借
→ 新興国のドイツは温暖な江南地域に進出できず
山東半島を勢力圏に
ロシアを警戒したイギリスは、山東半島の先端
威海衛を租借し、軍港をつくる
江南地方は
日本、フランス、イギリスが勢力圏にする。
→ 朝鮮半島を勢力圏に入れた日本と国境を接する。
→ 04年 日露戦争へ
00年 義和団事件
清王朝が民間の反乱に便乗してヨーロッパ列強に宣戦布告
しかし、返り討ちに合う。
次回予告
「1880年代のロシア ロマノフ朝 アレクサンドル3世 中央アジア進出」
このころ日本は
露仏同盟を結んだフランスは
日清戦争に敗北した中国は