10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1900年代のロシア ロマノフ朝 ニコライ2世 日露戦争の敗北でグレートゲームが終了

 1900年代、ロシアは日露戦争に敗北。その後、ロシアはイギリスと英露協商を締結。19世紀100年間にわたる、イギリスとロシアのグレートゲームはここに終わる。

 一方、このころ革命勢力が次々と結成されていた。

 

 

義和団の乱で中国分割は促進 

98年 ロシア社会民主労働党成立(マルクス主義

   都市部を中心とした社会主義政党

00年 清王朝(中国)で義和団の乱

   中国で始まった反キリスト教運動
   清王朝は、この運動を支援、ヨーロッパ列強に宣戦布告
   ロシアは、日本などと8か国共同出兵

01年 清王朝と北京議定書を締結

   清王朝は、列強各国に多額の賠償金を支払う
   列強は、北京に軍隊を駐留

    → ロシアは、義和団の乱鎮圧後も満州から撤兵せず

01年 社会革命党成立(ナロードニキ

    農村を中心とした社会主義政党

02年 シベリア鉄道満州の東清鉄道と連結

   → ロシアに脅威を感じたイギリスは日英同盟を締結


03年 ロシア社会民主労働党分裂
   メンシェヴィキ
    資本家と協調姿勢

   ボリシェヴィキレーニン
    資本家と対決姿勢

日露戦争に敗北

04年 英仏協商
   英仏両国は日露戦争で中立を保つ
    → 日露戦争第一次世界大戦化を回避

04年02月 日露戦争

05年01月 血の日曜日事件
     デモを武力鎮圧 → ニコライ2世の信用が失墜

05年06月 水兵の反乱

05年09月 ポーツマス条約
     アメリカの仲介で日本と和平

国会開設とストルイピン

05年10月 立憲民主党結成
     資本家を中心とした自由主義政党

05年10月 十月宣言 → 国会開設を約束


06年 ストルイピンの反動政治

    ミール(農村共同体)の解体
    → ナロードニキへの対抗
   皇帝権限の強化

07年 英露協商 

   三国協商の結成
   イラン、アフガニスタンチベットなどの両国の勢力圏を定める。
   イギリスとのグレートゲームがここに終わる。

 

1910年頃のロシアの状況

外交

 三国協商側 フランス(露仏同盟)、イギリスなど

革命勢力

 立憲民主党     資本家を中心とした社会主義勢力
 ナロードニキ 農村を中心とした社会主義勢力
 メンシェビキ 都市労働者向け社会主義政党
        立憲民主党と協調路線
 ボリシェヴィキ 都市労働者向け社会主義政党
         立憲民主党と対決路線

政治情勢

 ストルイピンの反動政治 王権強化へ

次回予告

「1890年代のロシア ロマノフ朝 アレクサンドル2世 露仏同盟と中国進出」

このころの日本は

 

sekaishiotaku.hatenablog.com

 日露戦争の舞台、清王朝の状況は

 

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 英露協商が発表されたペルシアは

 

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 同盟国、フランスの状況は

 

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