10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1900年代のフランス 第三共和政 三国協商の成立 ドイツ包囲網の完成

 1900年代、フランス、ロシアがそれぞれイギリスと和解。ドイツVSイギリスの第一次世界大戦の構図がここに完成する。

 1900年ごろの国際情勢

 ヨーロッパ各国は、アジア、アフリカで植民地化戦争を繰り広げていた。この時代、イギリス、ドイツ、フランス・ロシア(露仏同盟)の3つのグループに分かれていた。

英仏協商の成立

01年、共和派によるフランス急進社会党が結成(社会主義政党ではない)
   軍部の排外的愛国主義、右派の反ユダヤ主義と戦う。
   このころ、ユダヤ人の自覚が高まる。→シオニズム
02年、仏伊協商
 未回収のイタリア問題でオーストリアと対立していたイタリアを
 三国協商側に引き入れる。
02年、日英同盟
04年3月 英仏協商 の成立
(背景)
  アジアでは、日露戦争直前でこのままいくと世界大戦になる可能性が高かった
  当時のイギリスは南アフリカ戦争(99-02年)で弱っていた。
  ドイツのヴェルヘルム2世の世界戦略
  ファショダ事件で軍事衝突を回避
(内容)
  イギリスのエジプト支配とフランスのモロッコ(アフリカ北西部)支配の
                                  相互承認。
  日露戦争に事実上参加しない。(日英同盟と露仏同盟)
  14世紀の百年戦争以来の英仏対立がここに終わる。

日露戦争とモロッコ事件

04年、日露戦争勃発。
04年、フランス領インドシナ、ファン=ボイ=チャウが運動を起こす。
    フランスから独立し、立憲君主制を目指す。
    そのため、日露戦争に勝利した日本に留学生を送る。(トンズー運動)
05年、ロシアで血の日曜日事件
05年、ポーツマス条約で日露戦争終結
    アメリカが仲介
    これで19世紀の英露の対立が終わる。
    ロシアは、アジア進出をあきらめ、バルカン進出をもくろむ。
    そのため、ロシアは、ドイツとの対立を深める。
05年、フランス社会党が成立。
    ゼネストによる社会主義の実現を目指すグループをけん制し、
                   議会による社会主義の実現を目指す。
05年12月 政教分離法成立。
05年 第1次モロッコ事件、
 ドイツのヴェルヘルム2世がフランスのモロッコ支配に対し抗議。
 英仏協商に基づいてイギリスがフランスを支持し、ドイツの抗議は退けられた。

ドイツ包囲網の成立(三国協商の成立)

06年2月 ファリエール大統領が就任。
07年 英露協商が成立。
   三国協商が完成、第一次世界大戦の構図が完成する。
    三国協商 → イギリス、フランス、ロシア、日本、イタリア?
    三国同盟 → ドイツ、オーストリアオスマン帝国
    アメリカは、中立の立場にいた。
07年 第2回ハーグ万国平和会議→韓国のハーグ密使事件

青年トルコ革命とオスマン帝国の衰退

 08年 青年トルコ革命
  皇帝専制に対し、青年将校らがクーデターを起こし、立憲君主制に移行。
  立憲君主制の日本が、皇帝専制のロシアに勝ったのをうけて実施。
  この混乱に乗じて、バルカンに列強が侵入
   オーストリアボスニアヘルツェゴビナを併合
   ロシア → ブルガリアを独立。
   セルビアオーストリアに脅威を感じ、ロシアに接近。

 

 

 

このころの日本は

 

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 このころの中国は

 

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