4世紀のペルシア ササン朝 シャープール2世 と ゾロアスター教
4世紀、日本は古墳時代であった。
このころ、ペルシアはシャープール2世の時代であった。隣国ローマ帝国ではコンスタンティヌス大帝が活躍。両国は和平を保っていた。また、宗教政策ではゾロアスター教の国教化を強化していた。
コンスタンティヌス大帝が亡くなると、ササン朝とローマ帝国の戦いは再び始まった。
シャープール2世 と コンスタンティヌス大帝
09年 シャープール2世即位
異教徒(キリスト教徒)にたいして厳しい宗教政策
ササン朝はゾロアスター教を国教としていた。
→ キリスト教徒に倍の税金
当時のキリスト教徒の大部分はローマ帝国の捕虜
シルクロード交易
インドのクシャーナ朝を服従させ、国土は中央アジアのトルキスタンまで達する
中央アジアに進出した唐王朝と直接交易ができ、
シルクロード交易を独占した。
このころ、ペルシアにもアジア系遊牧民族フン族も侵入も始まる。
シャープール2世、ローマ帝国を再び攻める
37年 ローマ帝国への侵攻
コンスタンティヌス帝の死をきっかけに侵攻開始
79年 シャープール2世、没
89年 カフカス地方(アルメニア)をローマ帝国(デオドシウス帝)と分割統治
95年 ローマ帝国、東西分裂
次回予告
「3世紀のペルシア ササン朝 ササン朝の成立とシャープール1世」
このころの日本は
このころの西洋は
このころの中国は