10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

13世紀のインド、デリー=スルタン朝のはじまりとモンゴルの侵攻

 13世紀はモンゴルの世紀である。日本では鎌倉時代である。日本も鎌倉時代にモンゴルの侵攻を受けた。

 このころ、インドでは、アフガンからトルコ系イスラム教徒が侵入。デリー=スルタン朝が成立する。このデリー=スルタン朝もたびたびモンゴルの侵攻を受けた。

 

 

前回の復習 12世紀のインド

 11世紀末に成立したハルジー朝は、全インドを統一する一方で、ムガル帝国まで続く政治スタイルを確立した。これを引き継いだトゥグルク朝は、中央アジアやペルシアの混乱もあり長期政権を確立した。一方で、南アジアではヴィジャヤナガル王国などが成立した。

 今回は、デリー=スルタン朝の始まりである。奴隷王朝を見ていきます。

奴隷王朝って何?

 奴隷王朝とは、13世紀初頭に成立したデリー=スルタン朝の聖書の王朝である。

デリー=スルタン朝とは

 デリー=スルタン朝は、インド北部のデリーを都としたイスラム教徒が作った5王朝の総称である。国の大きさはさまざまで、ハルジー朝の時に全インドを統一した。しかし、基本的には北インドの支配にとどまっていた。

 民族としては、イスラム教に改宗したトルコ人軍人奴隷である。しかし、最後のロディー朝のみアフガン系である。トルコ系民族は、もともと中央アジア騎馬民族であった。9世紀に成立したサーマーン朝ペルシアによってイスラム化していった。このころトルコ系騎馬民族はサーマーン朝ペルシアによって、イスラム諸国に軍人奴隷として売られた。10世紀末にはカラ=ハン朝として、中央アジアトルコ人国家を成立させた。11世紀には、同じトルコ人国家のセルジューク朝トルコがイラクメソポタミア)のバグダードへ入城。アッバース朝のカリフからスルタンの称号を得る。スルタンとは世俗的(宗教以外の分野)の王という意味である。キリスト教(ローマ=カトリック)における教皇と国王の関係に近い。しかし、12世紀の十字軍や13世紀のモンゴル帝国によってセルジューク朝は衰退していてこの時代に至る。

奴隷王朝成立前(12世紀ごろ)までのインドは

 7世紀末にヴァルダナ朝が滅亡して以降、統一的な王朝はなかった。


ゴール朝の軍人奴隷、アイバクが建国

 ムガル帝国を建国したのは、アイバクである。ムガル帝国のアクバルと間違えないでほしい。アイバクは、ゴール朝アフガンの王ムハンマドの軍人奴隷であった。軍人奴隷とは、少年時代に奴隷として売られ軍人として育てられた人たちである。奴隷とはいっても実態は忠誠心の高い傭兵といったほうが正しいと思われます。とくに、軍事奴隷は、弓術や騎馬技術にたけたトルコ人が多かった。軍人奴隷の中には親衛隊や将軍になるものも少なくなかった。アイバクもムハンマドの親衛隊になった。

 ゴール朝のムハンマドがなくなると、アイバクはゴール朝から独立。奴隷王朝が成立した。ちなみに、ゴール朝アフガンは13世紀初頭に滅亡した。

2つの奴隷王朝

 このころ、エジプトでも奴隷王朝が成立した。マムルーク朝である。マムルーク朝は13世紀半ばに成立。14世紀半ばには、南インドに成立したバフマン朝とともにインド洋(アラビア海)交易で大いに栄えた。

モンゴル帝国の侵攻で奴隷王朝の滅亡

2人の王が誕生

 アイバクが奴隷王朝を建国した06年、モンゴルでも王が誕生した。ユーラシア大陸の大部分を支配するチンギス=ハンである。チンギス=ハンは直接インドへ来ることはなかったが、その子孫がインドへ侵攻を行った。

アフガンでは、ホラズムが滅亡

 12世紀末、アフガンに新たな国が成立した。イスラム教国のホラズムである。ホラズムの侵攻によって、12世紀初頭、ゴール朝アフガンは滅亡した。奴隷王朝の始まりである。

 このホラズムは、19年チンギス=ハンの侵攻を受け、衰退した。 

チャガタイ=ハン国

チンギス=ハンは、ホラズムを滅ぼすと、その地を次男チャガタイに任せた。これによって成立したのがチャガタイ=ハン国である。

チャガタイ=ハン国は41年と57年に奴隷王朝へ侵攻した。

51年、三男オゴタイ家と四男トゥルイ家が王位継承権をめぐり対立。三男オゴタイ家は次男のチャガタイ家が、四男トゥルイ家は長男ジュチ家がそれぞれ支持した。51年、トゥルイ家のオゴタイ=ハン家が即位するとチャガタイ家は衰退した。

 

イル=ハン国の侵攻で

 イル=ハン国は、モンゴル3ハン国の一つ。58年、モンケ=ハン(トゥルイ家)の弟がバグダードに建国。このとき、アッバース朝が正式にほろんだ。

イル=ハン国は80年代にインド(奴隷王朝)へ侵攻。奴隷王朝(インド)はこれを撃退できたもののこれにより奴隷王朝は衰退し、滅亡した。

フビライ=ハンのミャンマー侵攻

 インドの東、ミャンマーもモンゴル人の侵攻を受けた。当時、ミャンマーはパガン朝であった。イル=ハン国がインド(奴隷王朝)を攻撃していた80年代、ミャンマーでは元(フビライ=ハン)の侵攻を受けていた。バガン朝はこれを撃退できたもののこれによりパガン朝は滅亡した。

ハルジー朝の成立

 奴隷王朝イル=ハン国の侵攻で衰退すると、同じデリーに新たな国が成立した。同じトルコ系イスラム教のハルジー朝である。

 

この頃の日本は

 

sekaishiotaku.hatenablog.com

 モンゴルの様子は

 

sekaishiotaku.hatenablog.com