13世紀はモンゴルの世紀である。日本では、源頼朝が登場した鎌倉時代である。
このブログでは、前半はチンギス=ハンの中央アジアの商業都市の侵攻を、後半ではフラグの建国した中東のイル=ハン国を見ていく。
モンゴル帝国の中央アジア進出
チンギス=ハンはモンゴルを統一すると、東西交易による利益を求め中央アジアの商業都市へ侵攻した。
チンギス=ハン
チンギス=ハンは、モンゴルを統一すると
06年 モンゴル統一
18年 仏教国 カラ=キタイ(西遼)滅亡
中国の北方民族、契丹族が建国した国
09年、ホラズムに敗北
サマルカンドなど主要都市を奪われる。
11年、チンギス=ハンにモンゴル終われたナイマン族に王位を奪われる。
ナイマン族は、ウイグル文字をつたえモンゴル文字を作る
31年 イスラム教国ホラズム滅亡
12世紀初頭、ホラズムは拡大傾向にあった
カラ=キタイから サマルカンドを
ゴール朝から アフガニスタンを 獲得
このとき、ソグド商人の都サマルカンドを破壊
→ 14世紀、ティムールが再建し後に世界遺産になる。
チャガタイ=ハン国建国
オゴタイ=ハン
29年 チンギス=ハンが亡くなり、三男オゴタイ=ハンがハーンに就任
40年 バトゥのロシア遠征
46年 グユウ=ハン
オゴタイ家出身、わずか2年で崩御
モンゴル 4兄弟のその後
長男、ジュチ家
→ ロシアにキプチャク=ハン国を建国
次男、チャガタイ家
→ 中央アジアにチャガタイ=ハン国を建国
51年、モンケ=ハンにより粛清
しかし、14世紀初頭ハイドゥの乱でオゴタイ家が滅亡して復活
三男、オゴタイ家
→ 51年までハンを担う
モンケ=ハン時代にチャガタイ家が粛清されたため
オゴタイ=ハン国を建国
14世紀初頭、ハイドゥの乱で滅亡
四男、トゥルイ家
51年以降ハンを担う
分家のフラグは、ペルシアにイル=ハン国を建国
51年 モンケ=ハン、中国(宋王朝)と中東(アッバース朝)を同時に攻める
モンケ=ハン 四男トゥルイ家出身
チャガタイ家の粛清
モンケ=ハンの就任に反対したため → チャガタイ=ハン国衰退
中央アジアは、オゴタイ家が代わりに支配
フビライの中国遠征
中国編を見てください。
フラグの中東遠征
フラグのイル=ハン国
トゥルイ家フビライ=ハン
60年 モンケ=ハン 急死
フビライとアルクブケの後継者争い
フラグは帰国をせず→イル=ハン国を建国
ペルシア(イラン)を中心に、
イラク(メソポタミア)、シリアを支配
78年 イル=ハン国、小アジア(トルコ)のルーム=セルジューク朝を属国にする
南では、エジプトのマムルーク朝
→ メッカ、メディナなどアラビア半島を支配
北では、キプチャク=ハン(ジュチ家)
→カフカス地方攻防戦
キプチャク=ハン国は、マムルーク朝エジプトと同盟を結ぶ
95年 イル=ハン国、イスラム教スンナ派に改宗
→ それまでは、キリスト教ネストリウス派
次回予告
「12世紀のペルシア ホラズム 群雄割拠の時代」
このころの日本は
このころのヨーロッパは
このころの中国は