10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

13世紀のペルシア イル=ハン国 チンギス=ハンのユーラシア大陸統一

13世紀はモンゴルの世紀である。日本では、源頼朝が登場した鎌倉時代である。

このブログでは、前半はチンギス=ハンの中央アジア商業都市の侵攻を、後半ではフラグの建国した中東のイル=ハン国を見ていく。

 

モンゴル帝国中央アジア進出

 チンギス=ハンはモンゴルを統一すると、東西交易による利益を求め中央アジア商業都市へ侵攻した。

チンギス=ハン

 チンギス=ハンは、モンゴルを統一すると

 06年 モンゴル統一
 18年 仏教国 カラ=キタイ(西遼)滅亡

  中国の北方民族、契丹族が建国した国
  09年、ホラズムに敗北
   サマルカンドなど主要都市を奪われる。
  11年、チンギス=ハンにモンゴル終われたナイマン族に王位を奪われる。
  ナイマン族は、ウイグル文字をつたえモンゴル文字を作る
  

 31年 イスラム教国ホラズム滅亡

  12世紀初頭、ホラズムは拡大傾向にあった

   カラ=キタイから サマルカンド
   ゴール朝から アフガニスタンを 獲得

  このとき、ソグド商人の都サマルカンドを破壊
   → 14世紀、ティムールが再建し後に世界遺産になる。

 チャガタイ=ハン国建国

   中央アジアトルキスタン)の国
   次男 チャガタイが支配

オゴタイ=ハン

  29年 チンギス=ハンが亡くなり、三男オゴタイ=ハンがハーンに就任

  40年 バトゥのロシア遠征

 46年 グユウ=ハン
  オゴタイ家出身、わずか2年で崩御

モンゴル 4兄弟のその後

  長男、ジュチ家
   → ロシアにキプチャク=ハン国を建国

  次男、チャガタイ
   → 中央アジアチャガタイ=ハン国を建国
   51年、モンケ=ハンにより粛清
   しかし、14世紀初頭ハイドゥの乱でオゴタイ家が滅亡して復活

  三男、オゴタイ家
   → 51年までハンを担う
   モンケ=ハン時代にチャガタイ家が粛清されたため
   オゴタイ=ハン国を建国
   14世紀初頭、ハイドゥの乱で滅亡

  四男、トゥルイ家
   51年以降ハンを担う
   分家のフラグは、ペルシアにイル=ハン国を建国
  

 

51年 モンケ=ハン、中国(宋王朝)と中東(アッバース朝)を同時に攻める

 モンケ=ハン 四男トゥルイ家出身

 チャガタイ家の粛清

  モンケ=ハンの就任に反対したため → チャガタイ=ハン国衰退
  中央アジアは、オゴタイ家が代わりに支配

 フビライの中国遠征

  中国編を見てください。

 フラグの中東遠征

  58年 バグダード入城
     アッバース朝滅亡

フラグのイル=ハン国

トゥルイ家フビライ=ハン

60年 モンケ=ハン 急死
 フビライアルクブケの後継者争い

 フラグは帰国をせず→イル=ハン国を建国
  ペルシア(イラン)を中心に、
  イラクメソポタミア)、シリアを支配

70年 チャガタイ=ハン国イル=ハン国に侵攻も失敗

78年 イル=ハン国小アジア(トルコ)のルーム=セルジューク朝を属国にする

    南では、エジプトのマムルーク朝
         → メッカ、メディナなどアラビア半島を支配
    北では、キプチャク=ハン(ジュチ家)
         →カフカス地方攻防戦

    キプチャク=ハン国は、マムルーク朝エジプトと同盟を結ぶ

95年 イル=ハン国イスラムスンナ派に改宗
    → それまでは、キリスト教ネストリウス派
  

 

次回予告

「12世紀のペルシア ホラズム 群雄割拠の時代」

このころの日本は

 

sekaishiotaku.hatenablog.com

 このころのヨーロッパは

 

sekaishiotaku.hatenablog.com

 このころの中国は

 

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