10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

5世紀のフランス 西ローマ帝国の滅亡とフランク王国の成立

5世紀、日本では巨大古墳がたくさん造られた。

4世紀末、巨大なローマ帝国は東西に分裂。東ローマ帝国は繁栄をつづけた。しかし、西ローマ帝国は、ゲルマン人の侵入やアジア系騎馬民族の侵入で混乱。5世紀、オドアケルによって滅亡した。

フランスでは、フランク族のクローヴィスがフランク王国を建国した。

 

 

ゲルマン人国家の乱立

ゲルマン人とは?

 ゲルマン人とは、北欧に住んでいた民族。体形は大きく、ブロンドの髪に碧い目、そして高い鼻が特徴。
 ゲルマン民族は、2つのルートを通って西ヨーロッパに侵入した。1つはドナウ川を渡り、バルカン半島へ侵入。地中海沿岸を進んだ。東西ゴート族やヴァンダル人などがこれに当たる。もう一方は、アルプス山脈の北、ドイツなどから侵入した民族。アングロ=サクソン人、フランク人がこちらに当たる。

395年、ローマ帝国は東西に分裂。

06年 ヴァンダル族、スペインに移住。

06年 ブルグンド族、ライン川を渡りフランス中部へ移住。

10年 西ゴート族、ローマを一時占領
   当時、西ローマ帝国は、ゴート族と友好的な勢力と排除派で対立。
   一方、当時の西ゴート族の長はアラリックであった。
   アラリックは、有効的勢力の処刑への報復として、ローマを侵攻。
   アラリックは、その後北アフリカへ侵攻。しかし、敗北。
   ローマへの帰路の途中で亡くなる。

15年 西ゴート族ヴァンダル族を追放しスペインを支配。
   ヴァンダル族は、北アフリカへ。

18年 西ゴート王国成立

29年 ヴァンダル人、チュニジアカルタゴヴァンダル王国を建国。
   カルタゴは紀元前3世紀のポエニ戦争時のファニキアの拠点の一つ
   ヴァンダル王国は、北アフリカ南イタリアを支配した。



騎馬民族フン族アッティラ王とローマ教皇レオ1世

37年 アジア系騎馬民族フン族、フランス中部のヴァンダル王国を支配。

40年 ローマ教会、教皇レオ1世即位

41年 アジア系騎馬民族フン族アッティラ王の下、ビザンツ帝国へ侵攻。

43年 フランス中部のブルグンド王国が再建

49年 イングランドブリタニア)、アングロ=サクソンが侵入
   アングロ=サクソン七王国ヘプターキー
   先住民のケルト
    スコットランド(北)、ウェールズ(西)に逃れる。
    イングランドスコットランドの国境が
     ハドリアヌスの壁となる。
   

51年 アジア系騎馬民族フン人のアッティラ王西ヨーロッパに侵入
   ハンガリーに帝国を作る
   ライン川を越えて、西ヨーロッパに侵入。
   しかし、西ローマ帝国西ゴート王国フランク族連合軍が撃退。

51年 教皇レオ1世、カルケドン公会議で単性説を異端
   単性説は、中東やアフリカで広まる

52年 教皇レオ1世、フン族アッティラ王と会談。
   アッティラ王は、ローマ侵攻を取りやめた。
   その後、イタリアで疫病。フン族は急速に衰えた。
   

55年 チュニジアヴァンダル王国、ローマに侵入
   その後、ローマ教皇レオ1世とヴァンダル王国は和解。

西ローマ帝国の崩壊とフランク王国の建国

76年 オドアケルのクーデターにより西ローマ帝国滅亡

81年 フランク王国建国 初代国王クローヴィス

86年 フランク王国、フランス北部のローマ帝国の拠点を一掃。

96年 フランク王クローヴィス、カトリックに改宗
   背景には、西ゴート王国(スペイン)との戦いがある。

 

次回予告

「4世紀のフランス コンスタンティヌス大帝とゲルマン民族の大移動」

このころの日本は 

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 このころの中国は 

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