10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

5世紀の中国 南北朝時代 北魏が華北を統一。江南では貴族文化が花開く。

5世紀の日本は、各地で巨大古墳が作られた。また、このころ南朝朝貢を行っていた。

そのころの中国では、華北五胡十六国の戦乱が終わり、北魏華北を統一。漢化政策を進めるとともに、各地に石窟寺院が作られた。
一方、江南では、短命王朝が続いていたが、貴族文化(六朝文化)が花開いた。

 

鮮卑族北魏王朝が華北を統一、中国同化政策を行う(北朝

439年、鮮卑族の拓跋氏の北魏王朝が華北を統一。五胡十六国の戦乱期が終わる。都は北京周辺の大同におかれた。華北を統一した太武帝は、道教を信仰し、仏教を弾圧した。しかし、太武帝がなくなると、仏教は保護され石窟寺院雲崗石窟寺院)が作られ始めた。
471年、孝文帝が即位。中国同化政策漢化政策)を行う。

  1. 均田制  農地の私有を認めず、国家が農民に農地を貸し出す。
         貴族の大土地所有を制限
              曹操時代の屯田性を応用
        しかし、奴隷(小作人)や牛馬など資産状況も配慮して配分。
  2. 三長制 戸籍、納税等の管理システム
  3. 洛陽遷都 大同からかつての後漢の都洛陽に遷都
         竜門石窟寺院を建てる。
  4. 漢化政策 遊牧民族のピタッとした服装から、漢王朝の着物風の服装
         椅子→正座 など

北方騎馬民族社会では、モンゴル系の柔然が登場したが、北魏王朝が華北を統一すると北魏王朝に服従した。

貴族社会の六朝文化(南朝

 長江流域の建康(現在の南京)に遷都した晋王朝は、その後王朝交代を繰り返した。
一方で、多くの貴族が長安から建康へ移り住んだ。また、このころ日本から南朝への朝貢が行われた。(倭の五王
 王朝交代では、420年宋王朝、479年には斉王朝が建国した。
 3世紀の曹操時代に成立した九品中正は、この時代になるとほぼ家柄で決まるようにようになっていた。上級官僚は特定の家柄で占められるようになる。これを門閥貴族という。彼らは、多数の奴隷(小作人)を使い大規模農園を経営していた。文化面では、儒教がすたれ、道教清談が流行した。

このころの日本は

 

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