4世紀の中国 魏晋南北朝の戦乱期 北は北方騎馬民族の短命王朝が続き、南朝では、晋王朝に多くの門閥貴族が避難
晋の統一で再び平和が訪れると思われた中国は、後継者争いで再び戦乱の世に戻った。
華北では、五胡(ごこ)と呼ばれる異民族が交代で王朝を作った。
一方で、江南では、晋王朝が遷都。多くの門閥貴族が避難した。
このような戦乱期であったため、この時代の日本の情報が乏しい。そのため、3世紀の邪馬台国と5世紀以降のヤマト政権の関係が謎になっている。なお、この時期、多くの古墳が作られた。
晋王朝、後継者争いで短命に終わる。
魏王朝の役人採用制度九品中正を継承。しかし、このころになると人物よりも家柄が重視される。上級役人の家柄は門閥貴族と呼ばれた。
280年 晋王朝が呉王朝を滅ぼし、中国を再統一。
→三国時代の終焉。
300年 八王の乱、晋王朝の後継者争い
→北方騎馬民族(五胡)を使って戦う。
304年 匈奴の劉淵が漢王朝をたてる。
311年 永嘉の乱 匈奴の漢王朝が晋王朝へ侵攻、
都の洛陽は陥落。晋王朝は江南へ逃れる。
北朝、五胡十六国時代 異民族による短命王朝期
華北は、異民族の五胡が互いに争っていた。五胡十六国時代
このような戦乱の時代、宗教に頼る。仏教と道教がはやる。仏教徒と道教徒が互いに争う。
五胡十六国時代は、439年鮮卑族の北魏王朝が華北を統一するまで続く。
匈奴(きょうど) 紀元前3世紀ごろから漢民族を襲っていた北方騎馬民族、晋王朝を滅亡させる。
羯(けつ) 北方騎馬民族→ 仏教を保護
鮮卑(せんぴ)モンゴル系とツングース系(のちに金王朝をたてる中国老北部の民族)の混血。匈奴に服従していたが後に独立。最終的に北魏を成立させる。
氐(てい) チベット系
羌(きょう) チベット系
南朝 東晋 亡命豪族が、大規模農場経営で六朝文化を開花
長江流域の江南は、晋がかつての呉の都建業(建康に改名)に遷都した。(東晋)。多くの門閥貴族は、華北の戦乱をさけ江南へ避難した。彼らは大きな荘園をもち、多くの小作人を雇って耕作させていた。門閥貴族を中心に六朝文化が花開いた。仏教・道教の信仰もこの時代の特徴である。
貴族の大土地所有が一般的。皇帝よりも門閥貴族が発言力を持った。
403年、晋王朝は滅亡。宋王朝が成立。このあと、多くの短命王朝が続いた。これを南朝六朝という。
このころの日本は、