10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

7世紀の中国 隋王朝から唐王朝 国際色豊かな長安と唐王朝

7世紀、日本は飛鳥時代に当たる。
このころ、中国は、隋王朝が滅亡し、唐王朝が成立した。唐王朝は、科挙を行う一方で、門閥貴族を優遇した。都の長安は、ペルシア人や日本人も闊歩し、国際都市になっていた。唐王朝期の文化も国際文化豊かな文化となった。

 

隋王朝の滅亡

 隋王朝では、04年、2代目煬帝が即位した。彼は、長江~黄河~北京(万里の長城)までの大運河の建設や女真族の先祖とされる高句麗北朝鮮)遠征を行った。日本の聖徳太子の遣隋使が派遣されたのもこの時代である。
 しかし、高句麗遠征は失敗。大規模土木工事や高句麗遠征で農民は疲弊。18年、農民反乱が相次ぎ、わずか45年で隋王朝は滅亡した。
 ちなみに、この黄河と大運河の交点が開封と呼ばれ、大商業都市になる。

唐王朝の成立

618年成立したのが唐王朝である。
対外政策では、別の北方騎馬民族トルコ系の突厥を服属。東では、朝鮮の新羅と同盟を結び、日本・百済連合軍を白村江の戦いでやぶり、次いで隋を苦しめた女真族高句麗を滅ぼした。西では、シルクロード中央アジアまで勢力を伸ばした。
唐王朝は、征服地に都護府を置いたが、異民族の自治は認めていた。
内政では、隋の統治システムも継続した。法治主義をとった。律令制である。農業政策は、隋と同じ均田制をとり、人事政策では、科挙を継続した。

南朝門閥貴族への配慮

唐王朝は、隋王朝とは異なり南朝門閥貴族に配慮した。門閥貴族には均田制は適用されず、広大な土地所有を認められた。(荘園制)。また、政治面でも、門閥貴族のために門下省を設置。勅書の審査権を与えた。

国際都市 長安

このころ、イランのササン朝ペルシアが滅亡。多くのペルシア人難民が唐王朝に入る。景教キリスト教ネストリウス派)やゾロアスター教などイスラム教以前の中東の宗教が流入した。また、日本の遣唐使など朝貢使節や留学生が多く長安を訪れ、長安は国際色豊かな都市となった。

女性皇帝 則天武后

690年、則天武后が即位。初の女帝となる。則天武后は、旧貴族ではなく科挙官僚を積極的に採用した。
ちなみにチベットが統一されたのこのころである。

 


三省六部
 三省
  中書省 → 勅書(現在でいう法律)を立案するチーム 簡単に言えば衆議院
       宮中ので法案を書くので中書省科挙出身者が多い
  門下省 → 勅書(現在でいう法律)をチェックするチーム 簡単に言えば参議院
       宮廷をでる門の下でチェックしたので、門下省門閥貴族が多い。
        →門閥貴族の支持を得るために作った部署のため、10世紀に門閥貴族が没落すると廃止された。
  尚書省 → 勅書(現在でいう法律)を実行するチーム 簡単に言えば内閣
       書を尚する(実行する)ので尚書省。六部を統括。
 六部
  吏部 → 官吏(役人)の任用、いまでいる人事院
  戸部 → 戸籍を使って税金を国家財政をになる。今でいう財務省
  礼部 → 礼を重んじ祭司や文教を行う。科挙を実施するのもこのチーム。今でいう文部科学省
      遣唐使などの朝貢もつかさどっていたので、外務省の業務も担う。
  兵部 → 兵を使って軍事をつかさどる。いまでいう防衛省
  刑部 → 刑法をつかさどり、罪人を罰する。いまでいう法務省 → 警察、検察 兼 裁判所
  工部 → 道路工事などの公共事業を実施。
税制
 租 穀物を納付
 調 絹や麻の布を納付(日本では特産物なので違いに注意)
 庸 労役の代わりに布を納付
 徭・・・唐王朝の公共事業を行う。
 雑徭・・・地方政府の公共事業を行う。
 府兵制・・・都や国境の警備

そのころの日本は

 

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