10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1920年代のフランス 第三共和制 右派の強硬外交路線から左派政権の協調外交路線へ

第一次世界大戦の反省から、海軍の軍縮交渉が行われた。
フランスでは、ポワンカレの右派政権が成立していた。ドイツに対しては強硬外交を実施。ルール占領はその一環である。しかし、国際的な批判を浴びて、退陣。
左派勢力が政権を担うようになる。外交は国際協調路線に転換した。このまま平和外交路線が進むものと思われた。
しかし、29年アメリカで世界大恐慌が起こる。

19年6月 ヴェルサイユ条約締結

 ドイツへの強硬路線 → 報復的内容

 内容
  国際連盟を結成
  領土の処分
   ドイツは海外植民地を放棄
   領土の割譲 1871年普仏戦争で失ったアルザスロレーヌを奪還
  軍備の制限 ドイツ 徴兵制禁止、ラインラント非武装
  多額の賠償金 アメリカへの戦債返済に充てられた。

 各国の反応
  アメリカ → 批准拒否
  中華民国袁世凱) → 旧ドイツの中国権益が日本に渡されたので調印せず。
  日本 → 人権平等案を提案するもアメリカが反対
       アメリカの移民問題が背景

ヴェルサイユ体制

 イギリス・フランスがドイツの再起を抑止
 ソ連を警戒。
 アジア、アフリカの民族運動への対抗

東欧2大帝国の崩壊
 ロシア帝国オーストリア帝国オスマン帝国が崩壊。
  この2帝国に囲まれた東欧諸国が次々独立。
 ロシア → フィンランド、バルト3国、ポーランド
 オーストリア → 
  チェコスロバキアハンガリーユーゴスラヴィア

19年 ギリシアオスマン帝国へ侵攻
19年 イタリア、ユーゴスラヴィアを一部占領
20年 ポーランドソ連へ侵攻
   → ベラルーシウクライナの一部を獲得。
20年 国際連盟
 常任理事国 イギリス、フランス、イタリア、日本
  アメリカ、ソ連、ドイツが参加せず。
 軍事力を持たない。  
  

21年~22年 ワシントン会議
 海軍軍備制限条約 → アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリア
 九か国条約 → 中国問題
  日米の石井ランシング協定は破棄
  日本の対華21か条要求破棄
 四か国条約 → 太平洋の植民地取り決め
  日英同盟破棄
22年 ポワンカレ右派内閣成立。→ ドイツに対して厳しい対応を
22年 イタリアでファシスト党ムッソリーニが首相。→ ファシズム政党が成立。
23年1月 フランス、ベルギーによるルール占領
 大幅なインフレを引き起こした。このフランスの行動は、第一次世界大戦後の厭戦的な国際世論の中で批判を浴びた。 

23年 オスマン帝国、ケマル=パシャがギリシアを撃退。

24年 パリオリンピックを開催。
24年6月 左派勢力のガストン=ドゥメルグ大統領が就任。
     対ドイツ強硬外交で右派政権が国際的批判を浴びる。
     →左派連合政権が樹立。協調外交路線に転換。
24年 ドーズ案
    ドイツの当面の賠償金支払い義務の軽減。
    アメリカはドイツへ資本を投下
    ドイツはアメリカの資本でイギリス・フランスに賠償金を支払い
    イギリス・フランスはアメリカに戦債を返済した。
25年 ロカルノ条約
   →ドイツと周辺諸国の相互不可侵
   →ルールから撤兵
   ドイツ、社会民主党エーベルト大統領が死去。
   →軍人のヒンデンブルク大統領が就任。
   ベトナムでは、ホー=チ=ミンがベトナム青年革命同志会を結成。   
26年 ドイツ、ロカルノ条約に基づき国際連盟に加入

26年 ポアンカレ挙国一致内閣
   経済復興と国際協調路線
28年 不戦条約 フランスとアメリカが提唱
29年 ヤング案
   ドイツの賠償金の削減と返済期間の延長
29年 世界大恐慌
30年 ロンドン軍縮会議
   アメリカ、イギリス、日本で補助艦の制限条約に調印。
30年 ベトナム、ホー=チ=ミンがベトナム共産党を結成。

 

そのころの日本は

 

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 そのころの中国は

 

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