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1920年代の中国 中華民国 軍閥と共産党と国民党 そして日本

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蒋介石

 1920年代の中国は、戦乱で荒れていた。日本は第一世界大戦で得た山東半島の権益をワシントン会議で返還した。19年に再結成した中国国民党と、21年に結成された中国共産党は、24年、列強と結びついた軍閥を一掃するため、第一次国共合作を行い、北伐(軍閥との戦い)を開始した。28年に北伐は完成した。しかし、27年、蒋介石のクーデターで再び分裂。英米の支援を得る蒋介石中国国民党ソ連の支援を受ける中国共産党、そして日本軍の3すくみの状況に入る。

 

 1920年ごろの中国は、各地の軍閥が列強と結びついて抗争を繰り返していた。江南(長江流域)は英米と、華北、北京周辺や満州中国東北部)は日本との結びつきを強めていた。1900年代に、中国市場に参入してい勢力は、ロシア、フランス、ドイツ、イギリス、日本であったが、ロシアは日露戦争の敗北で撤退。ドイツは第一次世界大戦で撤退。フランスも第一次世界大戦の疲弊で中国への影響力を失いつつあった。そのような中、19年に孫文らによって中国国民党が再結成し、21年陳独秀らによって中国共産党が結成された。当時の中国国民党ソ連と連携し、共産主義を容認していた。そのため、ソ連の支援を受けて成立した中国共産党をすんなり受け入れることができた。
 1922年、軍縮に向けてワシントン会議が開かれた。ここで九か国条約が締結。日本は、第一次世界大戦で得た旧ドイツ勢力圏の山東半島の権益を中国に返還した。当時の日本は、第一次世界大戦後で協調外交路線をとっていた。
 24年、中国国民党中国共産党第一次国共合作を行った。25年孫文死去。同じ年、香港周辺の広州で広州国民政府を樹立。25年上海の日本人経営工場の労働争議(5・30運動)をきっかけに各地の軍閥に軍をさしむけた(北伐)。この北伐にたいし、日本政府は、第一次世界大戦から続く協調外交路線で、積極的な軍事行動を行っていなかったが、27年に政権交代が起こると、強硬外交に路線転換。山東出兵を行った。
 27年、国民政府軍総司令官の蒋介石は、上海でクーデターを起こす。これにより、国民党政府から共産党を排除。第一次国共合作はここにおわる。27年には、南京国民党政府が樹立。この蒋介石を支援していたのが、ソ連を警戒するイギリスとアメリカである。
 一方、北伐は、28年北京の軍閥張作霖が、北京を脱出。満州へ移動中に爆殺される。後継者の張学良は、反日になり国民党に合流。これにより、北伐は完了した。
 これにより、中国は、蒋介石率いる南京(江南)の国民党政府中国東北部満州本軍。そして、国民党政府から追放された共産党の3すくみの時代に入る。

そのころ日本は

 

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