10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1940年代後半のフランス 冷戦下で第四共和政が社会党系勢力で始まる。インドシナ戦争が始まる。

1945年、第二次世界大戦終結。ヨーロッパは、アメリカ・イギリスを中心とした自由主義勢力とソ連を中心とした社会主義勢力が対立していた。フランスでは、ド・ゴールが当初国家主席をとっていたが、議会で共産党が勝利するとド・ゴールは辞任。社会党共産党などの連立政権が樹立された。日本軍が撤退したベトナムでは、共産党ホーチミンが独立を宣言。インドシナ戦争が始まる。

 ヨーロッパ情勢(イギリス自由主義勢力 VS ソ連社会主義勢力)

 ナチスドイツ撤退後、東欧諸国で次々共産党政権が樹立。西側が自由主義勢力、東側が社会主義勢力となった。その分岐点になったのが、第二次世界大戦の敗戦国のドイツと同じゲルマン民族オーストリアであった。そのような中、かつてオーストリア支配下にあったチェコスロバキア共産党政権ができたことはイギリス・アメリカに衝撃を与えた。

フランスの政治状況(社会党系の連立内閣で第四共和政が始まる。)

このような国際情勢の中、フランスは第二次世界大戦でアフリカのフランス領で活躍したド・ゴール国家主席について第四共和政憲法制定に尽力を尽くした。しかし、議会で第一党になったのは、共産党であった。共産党は、のちにコミンフォルムにも参加している。共産党は、第二次世界大戦中フランス国内でナチスドイツを苦しめていた。その結果が、選挙に反映された。総選挙の結果を受け、ド・ゴールは辞任。社会党共産党などの左派連合の連立内閣で第四共和政はスタートした。

外交政策インドシナ戦争が始まる。)

日本軍が撤兵したインドシナでは、インドシナ共産党ホーチミンが独立を宣言。フランスはこれを認めず、武力で弾圧。ベトナム戦争の前哨戦、インドシナ戦争が始まった。一方、カンボジアは、シハヌーク国王の下で独立。インドシナ戦争では中立を宣言した。


45年9月、東南アジアのベトナムでは、日本撤兵でフランスの植民地支配が復活した。
                 ベトナム共産党ホーチミンベトナム民主国の独立宣言。
45年10月、国際連合が原加盟国51か国で発足した。国際連合では、アメリカ、ソビエト連邦、イギリス、フランス、中華民国が5大国となった。戦前の国際連盟との違いは3点。軍事制裁が可能。総会の全会一致から安全保障理事会による多数決に変更。拒否権など大国に有利な制度を導入し大国のアメリカ、ソ連が参加。
45年11月、ド・ゴールがフランス臨時政府の首班。ニュルンベルク裁判が始まる。
45年12月、IMF国際通貨基金)とIBRD(国際復興開発銀行)が発足した。IMFの設立によってドルを基軸通貨とした固定相場制度による国際通貨制度が確立した。この体制は、71年にニクソンショックまで続いた。

46年1月、ド・ゴール臨時政府主席が、共産党社会党の躍進を受け辞任。
46年3月、イギリス前首相チャーチル氏が、アメリカで「鉄のカーテン演説」
46年9月、フランスは、ホーチミンベトナム民主共和国を承認せず、武力弾圧。インドシナ戦争が始まる。
46年10月、フランスで第四共和国憲法が成立。第四共和政が発足した。58年のド・ゴール将軍のクーデターまで続いた。フランス共産党が第一党になる。
46年、ギリシアでイギリスが支援する王政派とソ連が支援する共産党との間で内戦がおこる。
47年1月、社会党系ヴァンサン・オリオール大統領が就任。一方で、ド・ゴール将軍はフランス国民連合(RDF)を発足。
47年3月、アメリカのトルーマン大統領は、共産化防止のためギリシア、トルコの支援をすることを表明。(トルーマン=ドクトリン)
47年5月、自動車会社ルノー労働争議問題が原因で共産党閣僚を全員を罷免。
47年6月、アメリカは、ヨーロッパ復興援助計画(マーシャルプラン)を発表。共産党が政権をとった東欧諸国はこれを拒否した。一方、フランスなどの西側諸国はこれを受け入れた。
47年10月、マーシャルプランを拒否したソ連と東欧諸国でコミンフォルム共産党情報局)を結成。ここにはフランスやイタリアの共産党も参加した。スターリン批判の56年に解散。
47年10月、GATT(「関税と貿易に関する一般協定」)が成立した。これは、世界恐慌時にアメリカがイギリス・フランスの保護貿易政策に悩まされたことおよび、植民地の乏しいドイツ・日本がファシズムに走ったことを教訓に成立した。これは95年のWTO設置まで続いた。
47年、イギリスがパレスチナ撤退。
47年11月、国際連合の総会でパレスチナ分割決議を採択。パレスチナユダヤ人国家とアラブ人国家に分割された。イェルサルムは国連管理下に置かれた。
48年2月、中欧チェコスロヴァキアでクーデター。共産党政権が樹立。
48年3月、チェコスロヴァキアのクーデターを受けて、イギリス、フランス、ベネルクス3国が、NATOの前身となる軍事同盟、西ヨーロッパ連合条約を締結。
48年4月、アメリカからの経済支援(マーシャル=プラン)の受入機関としてOEEC(欧州経済協力機構)を結成。
48年5月、ユダヤ人がイスラエル建国を宣言。アメリカ・イギリスは支援。ソ連は承認。一方アラブ人は一斉に反発した。45年に成立したアラブ諸国連盟軍がイスラエルを攻撃。第一次中東戦争が勃発した。
48年6月、米英仏でドイツ西部で通貨改革を実行。これに対し、ソ連ベルリン封鎖を行った。ユーゴスラヴィアコミンフォルムから除名。
48年12月、国際連合、世界人権宣言を発表。
49年1月、ソ連と東欧諸国はコメコン(経済相互援助会議)を結成。
49年4月、西側軍事同盟NATOが発足。加盟国は西ヨーロッパ連合条約5か国にアメリカ、カナダ、ノルウェーデンマークアイスランド、イタリア、ポルトガルの7か国が参加。
49年5月、ソ連ベルリン封鎖を解除。東西ドイツが成立。
49年7月、第一次中東戦争終結イスラエルが勝利した。原因は、アラブ諸国連盟の装備が古く、結束力も弱かった。この戦争により、イスラエルは47年の国連決議より広範囲の地域を占領。
49年、インドシナ戦争下のベトナムで、ホーチミンベトナム民主共和国に対して、フランスは、バオ=ダイ(阮朝最後の王)をたてベトナム国を建国。
49年、東南アジアのカンボジアシハヌーク国王の下でフランスから独立。インドシナ戦争では中立の立場をとる。

 

このころの日本

 

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 このころの中国は

 

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