10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

1950年代のフランス 第四共和政 植民地支配に批判的な国際世論の中、植民地を失う。

 1950年代のフランスは、植民地支配に批判的な国際世論で、インドシナ戦争第二次中東戦争に敗戦。アジア、アフリカ地域への基盤を失った。そのため、新の市場を求め西ドイツなどとヨーロッパ統一市場の構築を模索し始めた。
 また、フランスの南、北アフリカのフランス植民地アルジェリアでは、独立派と反独立派で内戦が勃発。この問題で第四共和政がたおれ、第五共和制へ移行する。 

 1950年の国際情勢

 東西冷戦が激化。1950年には朝鮮戦争が勃発。しかし、53年にスターリンが死去すると平和共存路線に変更された。一方でアジアアフリカの第三勢力が力を持ち始める。第二次中東戦争スエズ戦争では、エジプトを味方につけたい米ソがともにエジプトを支持。英仏は撤兵を余儀なくされた。

50年代の中東・アフリカ

 日本軍が進駐した東南アジアの国々がが次々独立すると、植民地支配に批判的な国際世論が形成された。この流れに、第三勢力を味方につけたいアメリカとソ連も同調した。第二次中東戦争では、エジプト共和国にスエズ運河を奪われた。そのような中で、アルジェリア独立問題が浮上した。アルジェリア問題は、フランスからの移民など独立反対派と先住民などの独立賛成派の内戦問題に発展した。

ベトナム情勢

第二次世界大戦後に始まったインドシナ戦争は54年に終結した。その後、北側が社会主義勢力、南側が自由主義勢力に分裂した。南側で政府軍と反政府軍による内戦が勃発。反政府側に、北ベトナムソ連中国などの社会主義勢力が、政府側にアメリカなどの自由主義勢力がそれぞれ支援。ベトナム戦争に発展した。

ヨーロッパ情勢

 フランスは、このような植民地支配に批判的な国際情勢の中、新たな市場の構築を必要とした。そこに目を付けたのが西ドイツである。フランスと西ドイツで、ESCS、EEC、EASCの経済グループを成立させた。

フランスの政治

 50年代のフランスは、社会党などの左派が中心に動いていた。しかし、アルジェリア問題で信用が失墜。財界や軍部の支持でド・ゴール大統領がカムバック。第五共和政へ移行する。


50年、中東のイスラエルイェルサレムを首都とすることを宣言。
エジプトがガザ地区、ヨルダンがヨルダン川西岸を占領。パレスチナ難民が発生。
51年4月、ベネルクス3国、西ドイツ、イタリア、フランスの6か国間でパリ条約を締結。ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体が成立。ドイツ・フランス国境付近の石炭鉄鉱石を共同管理することで平和共存していこうとする。
52年1月、フランス軍北アフリカチュニジア独立運動を鎮圧。国際世論から批判を浴びる。
52年、エジプト革命。国王を追放し、エジプト共和国が成立。
53年、スターリン死去。
54年1月、ルネ・コンティが大統領就任。
54年5月、西ドイツ主権を回復。NATOに加盟し再軍備が認められた。
54年8月、第一次インドシナ戦争終結フランス軍は撤退し、北側がベトナム共産党ホーチミン勢力、南側が親フランス勢力になった。2年後統一選挙で合同することで合意。
54年、対共産圏に対する東南アジアの軍事同盟SEATO(東南アジア条約機構)が結成。参加国は、アメリカ、アメリカと軍事同盟を結んでいたオーストラリア、ニュージーランドおよびフィリピン、東南アジアの宗主国であるイギリスとフランス、独立を維持したタイ、そしてインドと仲が悪いパキスタン(当時はミャンマーの隣バングラディシュはパキスタンであった)である。
54年11月、アルジェリア戦争が始まる。当時のアルジェリアは、ヨーロッパからの移民や、市民権を得たユダヤ教徒や一部のムスリムイスラム教徒)とそれ以外の先住民の差別が問題となっていた。そのような中、FLN(アルジェリア民族解放戦線アルジェリア社会主義政党)が一斉蜂起。フランスは、これに対し鎮圧軍を派遣した。アルジェリアは、フランス軍とフランス移民とFLNの戦争となる。
55年、アルジェリア独立運動は、チュニジア・モロッコの民族運動へ波及した。
55年、54年の西ドイツのNATO加盟に脅威を感じたソ連と東欧諸国で軍事同盟ワルシャワ条約機構が発足。
55年、ソ連は、西ドイツとユーゴスラヴィアとの間で国交を回復。
55年、オーストリア永世中立国として主権を回復。当時の中立国は、アイルランド(イギリスと対立)、スペイン、スイス、オーストリアスウェーデンフィンランドユーゴスラヴィアである。
55年、アメリカはベトナム南部にベトナム共和国(ゴ=ディン=ディエム政権)を建国。SEATOは、ベトナム共和国を支援した。
55年、中東の対共産圏の軍事同盟METO(バグダード条約機構)が発足。参加国は、イギリス、トルコ、イラク、イラン、パキスタンである。
56年2月、ソ連フルシチョフスターリン批判を行い西側諸国と平和共存路線に変る。これに対し、中華人民共和国毛沢東が強く反発。中ソ対立が始まる。
56年、ソ連、47年に発足したコミンフォルムを解散。
56年、ECSC内の石炭価格が自由化。チュニジア・モロッコが独立
56年、エジプト共和国、ナセル大統領就任。中立政策を展開。中華人民共和国の国家承認を行う。英米ナイル川のアスワン=ハイダム建設の経済援助を停止。ナセル大統領は、報復として英仏がエジプトに保有するスエズ運河の国有化を実施。イギリス、フランスはイスラエルとともにエジプトへ出兵(第2次中東戦争
57年3月、ECSC6か国で西ヨーロッパの市場統合を目指してローマ条約が締結。EEC(欧州経済共同体)、EAEC(欧州原子力共同体)が設立。93年のマーストリヒト条約まで、EUの下になる条約になる。
57年秋ごろ、アルジェリア戦争は、FLNのゲリラ部隊が次々逮捕。このころフランス世論は、アルジェリア独立支持派と反対派で分裂していた。
57年、エジプトなどアラブ諸国を味方につけたいアメリカ、ソ連両国が英仏イスラエルが引き起こした第二次中東戦争スエズ戦争)を批判。英仏イスラエルはエジプトから撤兵した。
58年2月、エジプトとシリアが統合。アラブ連合共和国が成立。
58年5月、中東でレバノン暴動。
58年5月、アルジェリア駐屯のフランス軍アルジェリアのヨーロッパ移民など、現地のアルジェリア独立反対派がクーデター。フランス本土への侵攻への危機が生じた。
58年7月、中東のレバノン暴動、アメリカ軍が鎮圧。
59年1月アルジェリア問題で第四共和政が倒れる。その結果、第五共和政憲法が成立。議会で選ばれる首相から直接投票で直接選ばれる大統領の執行権が強くなる。右翼と軍部の支持でシャルル・ド・ゴール将軍が初代大統領に就任
59年、イラクイラク革命。共和制へ移行。イラクはMETO(バグダード条約機構)から脱退。METOは、CENTO(中央条約機構)に改称。
60年、イギリスは、フランスのEECに対抗してEFTA(ヨーロッパ自由貿易連合)を結成。加盟国は、北欧3か国(スウェーデンノルウェーデンマーク)、中欧の中立国(スイス、オーストリア)、そしてポルトガルである。
60年、ベトナム共和国南ベトナム)で反乱軍南ベトナム解放民族戦線が結成。ベトナム民主共和国北ベトナム)のホーチミンは反乱軍を支援した。

 

そのころの日本は

 

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 そのころの中国は

 

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