1950年代の日本は、ALWAYS三丁目の夕日の世界である。朝鮮戦争によって、戦争特需が始まった。高度成長がはじまったのもこのころである。アメリカ文化が数多く流入した。日本初のスーパーマーケット紀ノ国屋が登場したのもこのころである。テレビの本放送もはじまり、東京タワーができたのもこの時期である。ゴジラの映画もこの時期公開された。
1950年、吉田茂はサンフランシスコ講和条約を締結。日本はGHQ管理を外れ独立を回復した。一方で朝鮮戦争が始まっていた。そのため、日米安全保障条約を締結。アメリカ軍は独立後も日本に駐屯した。また、のちの自衛隊になる警察予備隊もこの時期結成された。
1955年、労働組合を支持基盤とする革新派は合同し、日本社会党を結党すると、危機感を感じた保守派は、吉田茂らの自由党と鳩山一郎らの日本民主党が合同して自由民主党を結党した。この後93年まで自由民主党は与党であり続ける。鳩山一郎は53年にスターリンがなくなったソヴィエト連邦と56年国交を回復。同年、国際連合に加盟した。
1960年、岸信介は、日米安全保障条約を改訂。学生運動がおこる。