1880年、国会開設デモをうけて、明治天皇は10年後に国会開設の詔を発布した。明治新政府はこの10年の政治課題は、国会開設のための憲法制定となった。当時の政治の中心物は伊藤博文であった。伊藤博文はみずからヨーロッパに憲法調査に向かった。伊藤博文が参考にしたのが、1871年にプロイセンを中心に建国されたドイツ帝国である。当時のドイツ帝国の宰相はビスマルクであった。85年には、8世紀の奈良時代から続く太政官制から内閣制度へ移行。伊藤博文は初代内閣総理大臣となった。89年大日本帝国憲法を発布。90年に帝国議会(国会)を開設した。
ちなみにアジア最初の憲法は、1876年オスマン帝国(トルコ)のミドハト憲法であったが、翌年発生した露土戦争で憲法を停止した。イランは1906年、清は1912年に近代憲法を制定した。
一方、アジア外交では韓国の反日運動の対応に追われていた。
このころ、多くの大学が生まれた。早稲田大学や駒澤大学、東洋大学がこの時代に創立された。