1940年代の中国 中華民国 第二次世界大戦に勝利、中華人民共和国を建国
1940年の中国は、日中戦争下にあった。そのため、英米が支援する国民党とソ連が支援する共産党が連携して日本と戦っていた。45年日本が敗戦。国民党と共産党による内戦が再開。経済失政で国民の支持を得られなかった国民党が敗北。1949年中華人民共和国が建国される。一方、国民党は台湾に逃れ中華民国を建国した。国際連合は、中華民国を中国の代表とした。
1940年、蒋介石の国民党と毛沢東の共産党が共同して日本と戦争していた。国民党は、銀行資本家がスポンサーで、イギリス・アメリカの支援を受けていた。一方、共産党は、社会主義国家を目指すグループで、すでに社会主義国になっていたスターリンのソ連の支援を受けていた。
これに対し、日本は蒋介石へ物資輸送経路を防ぐため、東南アジアのベトナムへ進駐した。当時のベトナムはフランスの植民地であったが、当のフランスはナチスドイツの支配下にはいっていた。また、日本は日独伊防共協定を三国同盟に発展させた。また、国民党を支援する米英との戦争に備えるため41年日ソ中立条約を締結した。個人的見解だが、ソ連は、国民党と日本を戦わせ、中国共産党に漁夫の利をとらせようとした。アメリカは、イギリス・ソ連に物資を供給するとともに、日本に対し経済制裁(石油供給の停止)を行った。日本は、アメリカとの衝突回避のため交渉を進めたが、交渉はいきずまり、太平洋戦争が開始された。
日中戦争は引き続き膠着状態が続いていたが、太平洋戦争戦争は当初、日本有利で進んだ。
しかし、45年太平洋戦争で日本が敗北すると、日本軍は中国から撤兵した。これにより、再び国共内戦が再開した。一方、45年に成立した国際連合では、5大国の一員となった。
国民党は、党幹部の腐敗や物価高騰による経済混乱で民衆の批判を浴びる一方、共産党は土地改革(小作人に農地を与える)政策で農民の支持を得た。これにより、49年共産党は中華人民共和国樹立を宣言。国家主席(大統領)を毛沢東、首相(行政のトップ)を周恩来が就任した。一方、敗北した国民党は台湾に逃れ中華民国を建国した。しかし、国際連合の代表権は、蒋介石の国民党政府がになった。
一方、朝鮮半島では、ソ連と英米が対立したため、48年北朝鮮と韓国がそれぞれ建国し、50年には朝鮮戦争が勃発した。
そのころ日本は、