10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

1940年代前半のロシア ソビエト連邦 スターリン書記長 第二次世界大戦下のソ連

1939年、第二次世界大戦が勃発。
ソ連もこの戦争に参加した。当初、ドイツ陣営で参戦したが、途中でイギリス陣営に変った。

 

 

第2次世界大戦 開戦、独ソによるポーランド分割

第2次世界大戦直前まで、ソ連は国際的に孤立していた。
しかし、ナチスドイツが急遽ソ連側に寝返った。
これにより、第2次世界大戦が始まった。

39年08月 独ソ不可侵条約

39年09月 ソ連、ドイツとともにポーランド侵攻
     → 第二次世界大戦が始まる。
     ソ連バルト三国へも侵攻

39年11月 ソ連フィンランドへ侵攻

ソ連、ドイツ(枢軸国)側からイギリス(連合国)陣営へ

ポーランドが消滅、ソ連とドイツが国境を接し
フランスを占領するとドイツは、ソ連を仮想敵国とした。

一方、ソ連英米と開戦間近の日本と同盟を締結。

ついに、独ソ戦が始まった。
独ソ戦が始まると、ソ連はイギリス・アメリカに接近した。

41年04月 日ソ中立条約

 日本 ⇒ 対イギリス、アメリカとの開戦に備える。
 ソ連ポーランド分割が終了 → 独ソ戦に備える。
 日露戦争時の英仏協商に近い役割を期待したが、
 総力戦化した第二次世界大戦には効果がなかった。

41年06月 独ソ戦開戦

 独ソ不可侵条約破棄、しかし日ソ中立条約は継続
 

41年07月 英ソ相互援助条約

     ソ連は、ドイツ陣営(枢軸国)からイギリス陣営(連合国)へ
     ソ連は、ヨーロッパ戦線では完全にイギリス陣営に入った。
     イギリスは、イラン経由でソ連へ物資を供給

42年 連合国優勢に 

 41年12月 、アメリカ、日本の真珠湾(ハワイ)攻撃
       → アメリカ世論の厭戦ムードが吹き飛び、太平洋戦争が始まった。
       → また、ヨーロッパ戦線に参戦をした。
        ヨーロッパ戦線
         イギリス陣営 アメリカ、ソ連(←各国共産党
         ドイツ陣営 イタリア と、フランスなどの各国傀儡政権
        アジア、太平洋戦線
         アメリカ陣営
          中国(国民党と共産党)、イギリス(イギリス領インド)
         日本陣営
          ソ連は中立 → しかし中国共産党をひそかに支援、

 42年06月 、アメリカ、ミッドウェー海戦で日本に勝利

 42年08月 、ソ連ナチスドイツとスターリングラード攻防戦
       バクー油田カフカス地方)をめぐる戦い
       イギリスがイラン経由でソ連に物資援助
        
 42年11月 、連合軍(英米北アフリカ上陸

 43年02月 、ソ連スターリングラード攻防戦ナチスドイツに勝利
       冬将軍(ナポレオンを撃退した)の支援を受ける。
        冬将軍 → ロシアの寒さと飢えで戦意を焼失

43年 戦後構想でソ連とイギリスが対立

 連合国側の勝利が見えてきて、戦後構想についての首脳会談がおこなれるようになる。

 各国首脳の思惑

  イギリス、チャーチル首相

   ヨーロッパ、
    ナチスドイツは風前の灯火
    むしろ、共産党の躍進のほうがこわい
     → ソ連の発言力を高めたくない(ソ連の戦力はあまり使いたくない)
   アジア・太平洋
    あまり興味がない

  ソ連スターリン書記長

   ヨーロッパ
    ヨーロッパ各国に共産党政権を樹立したい。
    そのため、発言力を高めておきたい。
   アジア・太平洋
    中国共産党を支援したいが
    強国に日本と戦争したくない。

  アメリカ、ルーズベルト大統領

   ヨーロッパ
    興味がない
   アジア
    かなり苦戦 → できればソ連の支援を得たい。


43年05月 、ソ連コミンテルンを解散
43年07月 、連合軍(英米)、イタリア(シチリア)上陸
      枢軸国イタリア、ムッソリーニが失脚
43年09月 、枢軸国イタリア、降伏
43年11月 、テヘラン会談
  ソ連英米の初の首脳会談
  連合国はどこから上陸するか
   イギリス → バルカン半島から上陸 
          バルカン半島に影響力を持ちたい
   ソ連        → フランス北部から上陸
          バルカン半島に影響力を持ちたい

    ⇒ ソ連案を採用、ノルマンディ上陸作戦につながる。

  ポーランド国境問題
   ソ連ポーランドの国境をどこに置くか
   ソ連とイギリスにあるポーランド亡命政府が対立

44年06月 、連合軍(英米ノルマンディ上陸作戦

44年08月 、連合軍(英米)パリ解放

45年02月 、ヤルタ会談
 黒海にあるクリミア半島ウクライナ)のヤルタで米英ソの首脳が会談

 国際連合
  米英ソ + 独立を回復したフランス、中国(国民党)
  拒否権(5か国の全会一致)の導入 ソ連単独で国連軍の派遣を中止できる

 ドイツの戦後処理

  米英ソ+独立を回復したフランス による分割統治

 ポーランドの自由選挙

  国内で活動する共産党ソ連
  イギリスに亡命している亡命政府

 ソ連の日本参戦(秘密条項)

 

45年 終戦

45年04月 、アメリカ、ルーズベルト大統領急死
       → 副大統領トルーマンが昇格

45年05月 、ベルリン陥落 → ドイツ無条件降伏
  西から、フランスを解放した連合軍(英米
  東から、ソ連
   5月2日、ソ連が先にベルリンに到着

45年7月 、ポツダム会談
  ドイツ、ベルリン郊外ポツダムで会談
  日本への最後通牒 
   米英中で表明 → ソ連の対日参戦は隠す
  アメリカ、トルーマン大統領がはじめてスターリン書記長とであう。
   ルーズベルト大統領がソ連と結んだ密約を知る。
   この会談中に、原爆完成の報を受ける
     → ソ連の援助がなくても日本に勝てそう

45年8月 、アメリカ、原爆投下
      ソ連、日ソ中立条約を破棄して日本へ侵攻
      日本無条件降伏 

次回予告

「1930年代のロシア ソビエト連邦 スターリン書記長
         世界恐慌の影響をうけないソビエト連邦

 

このころの日本は

 

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