1940年代後半のギリシャ・トルコ ギリシャ内戦と第一次中東戦争
1940年代後半は、第二次世界大戦が終結し、アメリカ VS ソ連(現在のロシア)の冷戦が始まった時代である。
アメリカとソ連が直接戦争状態になることはなかったが、この時代の内戦は親米派VS親ソ派になることが多かった。ギリシャの内戦もこの構図であった。中東では、第一次中東戦争(イスラエル戦争)が勃発した。
前回の復習 第二次中東戦争(スエズ動乱)
1950年代、ギリシャは親米国王派が政権を担っていた。また、トルコも親米政権であった。他の中東諸国も親米政権が多かった。しかし、第二次中東戦争をきっかけに反米路線が明確化した。第三世界の台頭である。これが60年のアフリカの年につながる。
今回は、トルコとギリシャの親米政権を支えたトルーマン=ドクトリンと親米派の旧勢力が国民の支持を失うきっかけとなった第一次中東戦争(イスラエル戦争)を見ていきます。
東西冷戦とギリシャ内戦
米ソ冷戦 第一幕
冷戦は第二次世界大戦中の44年から始まっていた。連合国の勝利がほぼ濃厚になった44年11月のテヘラン会談である。第二次世界大戦後に成立する国が親ソ派の共産党が担うのか親英派の旧勢力が担うのかが話し合われた。アメリカのF=ルーズベルト大統領(民主党)はこの争いを静観していた。
第二次世界大戦が終了すると、共産党の勢力が拡大した。東欧諸国では共産党政権が次々成立した。また、フランスやイタリアでも親ソ政権が成立。西側諸国の盟主であったイギリスでもアトリー労働党政権がせいりつした。これに焦りを感じたのがアメリカである。アメリカのトルーマン大統領は、ヨーロッパの共産党の躍進を脅威に感じていた。
ギリシャ内戦 (イギリスとソ連の代理戦争)
第二次世界大戦が終結すると、国王派と共産党によるギリシャ内戦が勃発した。イギリスは国王派を、ソ連は共産党をそれぞれ支援した。
一旦、共産党の合法化を条件に内戦は停戦した。
しかし、イギリスは、この条件を無視。ギリシャで共産党の弾圧を開始した。これにより内戦は再燃した。
トルーマンドクトリン
イギリスのアトリー首相は、ギリシャ国王派へ軍事支援を断念した。代わりに支援の声を上げたのがアメリカのトルーマン大統領である。アメリカではイギリス元首相のチャーチルが「鉄のカーテン」演説を行い共産主義脅威論が出てきていた。
トルーマン大統領は、ギリシャ内戦への軍事支援を表明。ギリシャ・トルコの共産主義化を防止しようとした。これにより、ギリシャ内戦は米ソの代理戦争となった。また、トルコは親米政権が成立した。
ユーゴスラヴィアとギリシャ内戦
ユーゴスラヴィアは、バルカン半島西部の国でギリシャのすぐ北に当たる国である。第二次世界大戦中は、ギリシャと同様ナチスドイツの支配下にあった。そのような中、ティトー率いる共産党部隊がゲリラ戦を展開。これにより独立を果たした。
第二次世界大戦後は、共産党政権になったもののソ連の支援をあまり受けていなかったので独自路線を展開していた。これにより、ティトーはスターリンと対立。ユーゴスラヴィアはコミンフォルムから除名された。ユーゴスラヴィアはマーシャル=プラン(アメリカの経済援助政策)を受け入れた。
ユーゴスラヴィアがコミンフォルムから除名されると、ギリシャ共産党はユーゴスラヴィアからの支援を失い弱体化した。これにギリシャ内戦は国王派の勝利で幕を閉じた。
第一次中東戦争 (イスラエル戦争)
アラブ連盟の結成
第二次世界大戦末期の45年3月、エジプトを中心としたアラブ連盟が結成した。イスラム系の王国が多数参加した。ムハンマド=アリー朝のエジプト、ハーシム家のイラクとヨルダン、サウード家のサウジアラビアなどである。
フランスの政治体制が整うと、46年シリアは正式に独立した。しかし、レバノンを失い、南部はイスラエルに奪われたため、国土はかなり小さくなっていた。
イスラエル問題
イスラエルの地をめぐり、アラブ連盟とユダヤ人が対立。
イギリスのアトリー首相は、このイスラエルの委任統治を放棄
これを引き継いだのがアメリカのトルーマン大統領である。アメリカは国際連合を利用してパレスチナ分割案を提唱した。アメリカはユダヤ人移民の多い国であり、第二次世界大戦ではユダヤ資本がだいぶ動いた。そのため、ややユダヤ人に有利な判定になったものと推測された。
アラブ連盟は、これを不服としてユダヤ人が建国したイスラエルへ侵攻した。第一次中東戦争である。アラブ連盟は敗戦。イスラエルは、国際連合分割案より広い国土を確保した。
敗戦国エジプトでは、エジプト革命へ
イスラエルが建国されると、イスラエル国内のイスラム教徒(パレスチナ人)は難民となった。彼らは隣国のヨルダンやレバノンへ亡命した。レバノンでは、原住民のキリスト教徒と亡命者のイスラム教徒の対立が始まった。
また、第一次中東戦争に敗北したエジプトは、国王が国民の信頼を失い1950年代のエジプト革命につながる。
このころの日本は
仮想敵国 ソ連は