1990年代のトルコ・ギリシャ 湾岸戦争とボスニア内戦
1990年代、日本はバブルが崩壊。失われた10年といわれた時代である。
この時期、中東とバルカン半島でそれぞれ紛争が勃発した。中東では、イラクによるクウェート侵攻(湾岸戦争)が勃発。バルカン半島では、ボスニア内戦などを含むユーゴスラビア内戦が勃発した。
前回の復習 イラク戦争
2000年、アメリカは9・11テロに襲われた。アメリカのブッシュ大統領は、イラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸」として仮想敵国とした。そのご、03年、アメリカを中心とした有志連合によってイラク戦争が勃発。イラクのフセイン政権は崩壊した。
湾岸戦争
90年、イラクのフセイン大統領はペルシャ湾岸で大量の油田を有するクウェートへ侵攻。これにたいし、アメリカなどが反発。湾岸戦争が勃発した。この戦争でアメリカ側が勝利。クウェートは独立を維持した。
イラクやクウェートは、スンニ派が多く住む地域であった。しかし、フセイン大統領はシーア派のバース党が政権を握っていた。そのため、スンニ派の盟主サウジアラビアはアメリカに空軍基地を提供した。
これに反発したのが、サウジアラビア出身のビンラディン氏である。ビンラディン氏はソ連のアフガン侵攻で活躍した英雄である。しかし、この事件によりビンラディン氏率いるアルカイダは、テロ活動を活発化させる。それが11年後の9・11テロにつながる。
トルコ、クルド人の独立運動の弾圧。
クルド人とは、第一次世界大戦でオスマン帝国が解体されると、列強の思惑でトルコなど中東諸国に分断された。それにより、それぞれの国で少数民族となった。
当時、クルド人は、それぞれの国で盛んに独立運動を行った。トルコに対してもそれがおこなわれ、トルコ政府は大規模な弾圧を行った。
ユーゴスラヴィア解体とボスニア内戦
このころ、ギリシアの北にあったユーゴスラヴィアが分裂した。セルビア人を中心とした連邦維持派とそれ以外の独立派で様々な武力衝突が生じた。その代表例がボスニア内戦である。ボスニア内戦には、NATO軍が投入され大規模な空爆が行われた。
アジア通貨危機とエルドラン首相
80年代、アジア各国は、急激な経済成長を遂げた。その要因は大量な外国資本の受け入れにあった。各国は外国資本を受け入れるため、自国通貨をアメリカドルへ連動させるようにした。そのため、各国政府はアメリカドルとのレンドルのため、無理なドル売り介入を行った。そこに目を付けたのが、大物投資家ソロスである。ソロスは、タイの通貨バーツに目をつけ、バーツを大量に売った。タイは、これに耐えきれずバーツの切り下げを行った。これに連動して、アジア各国の通貨は連動して暴落。それに伴い外国資本の引き上げが行われた。
トルコもその中の一つの国であった。トルコは、アジア通貨危機で景気が悪化した。これを改善した英雄がのちのエルドラン首相である。
このころ日本は
湾岸戦争とは