1980年代後半のトルコ・ギリシャ 東欧革命とフセイン大統領
1980年代後半、日本は昭和時代が終わり平成時代が始まったころである。バブル経済の真っただ中であった。明石家さんまやビートたけしが世に出たオレたちひょうきん族が放映されていたのがこの時期である。
このころ、バルカン半島は東欧革命でに揺れていた。バルカン半島の共産党独裁政権は次々崩壊した。中東では、イラン=イラク戦争が終結した。
前回の復習 ユーゴ紛争と湾岸戦争
90年代、バルカン半島ではユーゴ紛争が、中東では湾岸戦争が展開されていた。
今回は、ユーゴ紛争のきっかけとなった東欧革命と、湾岸戦争の背景にあるイラン=イラク戦争を見ていきます。
前回、今回ともに主人公のトルコとギリシャがほとんど出てきません。次回もちょっとしか出ない予定です。
イラン=イラク戦争の終結
イラン=イラク戦争とは、イラン革命で成立したイラン(イラン=イスラム共和国)と同じころに成立したイラクのフセイン政権である。イランは、イスラム教では少数派のシーア派国家である。イラクもシーア派人口が多いが、フセイン政権自体はスンニ派である。そのため、スンニ派の盟主サウジアラビアはイラクを支援した。
また、アメリカとソ連も、イラクを支援した。なお、イラン=イラク戦争のきっかけとどうしてこの構図になったかは次回お話します。
ペルシャ湾の緊張で、NYで株価大暴落
アメリカとイラン(ペルシャ)がペルシャ湾で交戦。これにより、NYの株価が大暴落した。ブラックマンデーである。1929年の世界大恐慌を彷彿させたが、すぐに回復した。
ペルシャ湾の緊張を受けて、国連は停戦の仲介を開始。88年、停戦に至った。同じ年、イラン革命の指導者ホメイニ師が亡くなった。
イラクのフセイン大統領は、クウェートへ侵攻
イラクのフセイン大統領は、イラン=イラク戦争でアメリカから様々な支援を受け取った。そのため、この時期に最新鋭の軍備をそろえることができた。89年、その軍事力を使ってクウェート併合を目論んだ。これによって始まったのが湾岸戦争である。
東欧革命とバルカン諸国
バルカン半島では、東欧革命の影響でギリシャの北の国々が大きく変わった。バルカン半島は、南にギリシャ、東にブルガリアとルーマニア、西にユーゴスラヴィアがある。
ルーマニアは、65年からチャウシェスク大統領がソ連と一線を画した自主路線を展開していた。しかし、東欧革命の影響で89年チャウシェスク政権は崩壊した。チャウシェスク大統領も処刑された。ブルガリアも、ゴルバチョフ書記長の支援でクーデターが成立。民主化が実現した。
ユーゴスラヴィアは、同じ社会主義国であったが、ソ連と一線を画していた。しかし、ユーゴスラヴィアもこの時期に民主化している。89年に指導者ティトーが亡くなると集団指導体制に移行した。この集団指導体制の中、90年に自由選挙が行われることが決定された。しかし、この戦況結果が90年代のユーゴ内戦につながる。
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この頃の日本は
東欧革命を進めるソ連
イラン=イラク戦争の舞台イランは