1990年代、日本は平成に入ったばかりで、平成不況の真っ只中にあった。
このころ中東では湾岸戦争が起きていた。湾岸戦争は、イラク(イランの西)がアメリカなどの多国籍軍に攻められた事件である。当時、イランはイラン=イラク戦争に敗れ、ホメイニ師が亡くなったばかりであった。イランは湾岸戦争で中立の立場をとっていた。
イランの北、カスピ海沿岸ではソ連が崩壊。アゼルバイジャンやトルクメニスタンなど多くの国が誕生した。また、イランの東のアフガニスタンではタリバン政権が成立した。
湾岸戦争
90年8月、イラクのフセイン大統領はクウェートを併合した。これに対し、翌91年1月アメリカのブッシュ大統領(父)が多国籍軍を編成。イラクはフセイン政権が存続したものの、多国籍軍の管理下に置かれた。
ソ連は、多国籍軍に参加しなかったもののアメリカを支持した。これは冷戦終結の象徴となった。
90年のイラクは、イラン=イラク戦争に勝利し、バース党のフセイン政権が独裁色を強めていた。とくに、北部のクルド人や多数派のシーア派の弾圧を進めていた。
90年代のイラン 湾岸戦争で中立の立場をとる。
89年、ホメイニ師がなくなると、ハメネイ氏が最高指導者となった。湾岸戦争では、中立の立場をとったがややアメリカに批判的であった。
97年、総選挙で解放路線のハタミ氏が勝利。宗教的締め付けはやや弱まった。
90年代のアフガニスタン タリバン政権VS親米政権の内戦
92年、ソ連の崩壊に伴い親ソ連政権崩壊。親米政権が樹立。94年イスラム原理主義のタリバン政権が成立。親米政権と内戦状態になる。96年タリバン政権が首都カブールを攻略。タリバン政権はバーミヤンの石仏の破壊等を行い国際的な批判を浴びた。
ソ連の崩壊
91年ソ連が崩壊。イランの北、カスピ海沿岸に多くの国が建国された。
カスピ海の西
ジョージア 、アルメニア、アゼルバイジャンの3か国が建国。
アゼルバイジャンにはバクー油田がある。
カフカス地方と呼ばれ、民族問題が絶えない。
チェチェン紛争 → ロシア領内のチェチェンの独立運動
グルジア紛争 → ジョージア国内のロシア民族が多い地域の独立問題
アルメニアとアゼルバイジャンの国境紛争
カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン
キルギス、タジキスタンの5か国が成立。
次回予告
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