8世紀のペルシア アッバース朝 アッバース革命
8世紀、日本は奈良時代。仏教が厚く保護された。このころ、唐やペルシアの文化の影響を色濃く受けていた。
そのころ、ペルシア(イラン)は、イスラム王朝の時代であった。7世紀に成立したウマイヤ朝は、北アフリカからイランに広がる大帝国になっていた。しかし、アッバース革命でウマイヤ朝は滅亡。アッバース朝が成立した。
ヨーロッパへの侵攻
7世紀に成立したウマイヤ朝は、ビザンツ帝国から北アフリカを奪った。8世紀に入ると、アッバース朝はスペイン方向からヨーロッパへの侵攻を開始した。スペインにあった西ゴート王国を征服。フランスに入り、フランク王国のカールマルテル宰相と戦った(トゥール=ポワティエ間の戦い)。
50年 アッバース革命
ペルシア人などのイスラム改宗者とシーア派による革命
都は、メソポタミア(イラク)のバグダード
税制改革
ハラージュ(地租) アラブ人は免税 → 被征服地はすべて課税
シズヤ(人頭税) 改宗者は免税
→ 剣(戦争)か、改宗か、シズヤか
51年 タラス河畔の戦いで、唐王朝に勝利
中央アジアをめぐり、イスラム軍と唐王朝が激突
イスラム軍が勝利
唐王朝は、この敗戦以降衰退期に入る。
この戦いの唐王朝の捕虜がイスラム圏に製紙法を伝える。
86年 ハールーン=アッラシード即位
ペルシア人官僚 ← ササン朝ペルシアの統治方法を使う。
トルコ人軍人奴隷(マムルーク)← 突厥以来の騎馬戦法
次回予告
このころの日本は
このころの西洋は
このころの中国は
このころ西洋は