10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

1910年代のフランス 第三共和政 バルカン問題と第一次世界大戦

 ヨーロッパは、イギリスを中心とする三国協商とドイツを中心とする三国同盟に分かれていた。しかし、アジア・アフリカの植民地化が完了し、戦争の火種を消えたかと思われた。しかし、新たな問題が生じた。バルカン問題である。この地をめぐり、オーストリアとロシアが対立。これが第一次世界大戦につながった。
 第一次世界大戦は、総力戦となった。植民地の物資が仕えたフランスはなんとか勝利した。しかし、ロシアは物資の不足からロシア革命が発生。社会主義国となった。
 ヴェルサイユ条約第一次世界大戦講和条約)では、敗戦国ドイツなどに対し厳しい対応をとった。

 

 1910年時点の国際情勢

 日露戦争とモロッコ事件で、アジア・アフリカの植民地分割はほぼ完了していた。
 外交問題は、バルカン半島に集中するようになる。
 この時代、世界はイギリスとドイツの2つの軸で対立するようになっていた。

  イギリス(三国協商
   ロシア、フランス、日本
  ドイツ(三国同盟
   オーストリア、イタリア、オスマン帝国

第一次世界大戦の原因、バルカン問題

バルカン問題のきっかけは、オスマン帝国三国同盟)内でおきた軍事クーデター「青年トルコ革命」である。このオスマン帝国の困難に乗じて、領土が縮小させた。ロシア(三国協商)は、ブルガリアを独立させた。一方で、オーストリア三国同盟)がバルカン北部のボスニアヘルツェゴビナを併合した。これに対し、セルビアは反発。ロシアに接近した。

11年07月、 第2次モロッコ事件
 モロッコはアフリカの北西部(首都はダカール
  のちにパリダカールが開かれる。
 第一次モロッコ事件で、フランスの勢力圏に入っている。
 モロッコの内乱に対し、フランスが軍事介入
 ドイツのヴェルヘルム2世も、軍艦を派遣
11年09月、三国同盟のイタリアがオスマン帝国に宣戦布告
 北アフリカリビアフランス領アルジェリアの西)をねらう。
 フランスがモロッコに向いているすきに出兵
11年11月、第2次モロッコ事件は独仏の交渉の末、戦争を回避
 ドイツは、モロッコを放棄する代わりにカメルーンをドイツに割譲
12年   バルカン同盟を結成
 オーストリア三国同盟)に対するバルカン諸国の軍事同盟
 参加国 ブルガリアセルビアモンテネグロ
 後ろ盾は、ロシア
12年03月、フランスはモロッコ保護国
12年春  バルカン半島オスマン帝国内のアルバニア独立運動
12年10月、 第1次バルカン戦争
 バルカン同盟がアルバニア独立支援のため、オスマン帝国に宣戦布告
 バルカン同盟は、ロシアが支援するバルカン諸国の同盟
 オスマン帝国は、イタリアと交戦中。
12年10月、イタリア、北アフリカリビア保護国
 前年の戦争でイタリアがモロッコに勝利
12年 ベトナム、ファン=ボイ=チャウは日本から国外退去処分
   ファン=ボイ=チャウ →ベトナムの独立のためトンズー運動を行う。
   日仏協商で、日本とフランスが弾圧
   ファン=ボイ=チャウは、拠点は清王朝広東省(フランス勢力圏)に移す。
   ベトナム光復会を結成。12年に中華民国を建国した中国国民党の支援を受ける。
12年 第2インターナショナルがバーゼル臨時大会
    第一次バルカン戦争を受けて開催
    戦争反対と戦争勃発した場合の革命行動
     → ロシア革命につながる。
    しかし、結束が乱れる。
13年02月 ポアンカレ大統領就任。
13年05月、第一次バルカン戦争終結
 アルバニア独立承認。
 オスマン帝国は、ヨーロッパ領土とクレタ島を放棄
 オスマン帝国が放棄したマケドニアをめぐり、
  ブルガリアギリシアセルビアが対立。
  マケドニアギリシアの北アドリア海沿い
          ブルガリアはここを得ると地中海へのルートを確保できる。
13年06年 第2次バルカン戦争が勃発
  ブルガリアマケドニア地方をめぐり、ギリシアセルビアに宣戦布告。
  モンテネグロルーマニアオスマン帝国ギリシアセルビアを支援。
13年08月 第2次バルカン戦争が終結
 ブルガリアが敗北
 マケドニアは、ギリシアセルビアブルガリアで分割された。

この結果、バルカン諸国内の状況は以下の通りとなった。
 三国協商(イギリス、フランス、ロシア)
  セルビアギリシアモンテネグロルーマニアアルバニア
 三国同盟(ドイツ、オーストリア
  オスマン帝国ブルガリアボスニアヘルツェゴビナオーストリア領)

第一次世界大戦勃発

14年6月 セルビアオーストリア皇太子夫妻が狙撃(サラエボ事件
      オーストリアセルビアに宣戦布告(第一次世界大戦勃発)
       オーストリア三国同盟でドイツ
       セルビア←ロシア
14年8月 ドイツ帝国がロシア・フランス(露仏同盟)に宣戦布告。
     第2インターナショナルは解体。社会主義政党は自国政府を支持。
14年8月 イギリスがドイツ帝国に宣戦布告(中立国ベルギーに侵入。)
     アメリカは、中立を維持
     イタリアは、三国同盟に参加しているものの秘密条約で中立を維持。         日本は、連合国側で参戦

     → 塹壕戦などで戦争は長期化
      → 中国、太平洋のドイツ植民地を奪う。
15年 イタリア、連合国側で参戦 → ロンドン秘密条約(「未回収のイタリア」)
イギリスの対アラブ三枚舌外交
 → ロシア・フランス サイクス=ピコ協定で戦後の中東分割を協議
 → アラブ人 フセイン=マクマホン協定でアラブ人の戦争協力を得る。
 → ユダヤバルフォア宣言ユダヤマネーを受け入れる。

17年04月 アメリカ、連合国側で参戦。
17年11月 ロシア革命により、ロシアが戦線から離脱。
    「平和に関する布告」
      即時停戦、無併合・無賠償、民族自決
18年01月 ウィルソンの14か条の平和原則(ロシア革命に抵抗)
      国際連盟の設立、
18年11月 ドイツ革命でヴェルヘルム2世が亡命 → 第一次世界大戦終結

第一次世界大戦は、植民地の少ない国(ロシア、ドイツ)から離脱した。その要因は、物資不足からおこる自国の革命であった。
フランスは、植民地から物資や資金が得られたため、物資不足がそれほど深刻ではなく革命を回避することができた。

ヴェルサイユ体制の構築

19年1月 ヴェルサイユ条約
   植民地の既得権益を維持。→ 国際連盟委任統治
   敗戦国へ厳しい対応。
    植民地・海外利権の放棄
    領土の縮小
     フランスは1870年の普仏戦争で失ったアルザスロレーヌを奪回
    軍備制限・徴兵制の廃止
    ラインラントの非武装化
    巨額の賠償金
   独立が認められたのは、東欧諸国のみ
    (ロシア帝国ドイツ帝国オーストリア帝国
      オスマン帝国(バルカン地域のみ)の旧植民地)
   アジア・アフリカのドイツ帝国オスマン帝国の旧植民地は、
                       戦勝国で再分割された。
     アフリカ→ イギリス、フランス
     中国(華北部)・太平洋→ 日本
     西アジア → イギリス、フランス、サウジアラビア、(三枚舌外交)
      フランスは、シリア(西アジアの地中海沿岸)を勢力圏とした。
   ドイツでは、社会民主党エーベルトが大統領就任。
20年 国際連盟成立。本部はジュネーブ
   常任理事国はイギリス、フランス、日本、イタリア
   ドイツなどの敗戦国は参加できず。ロシアは排除。
   アメリカも参加しなかった。
   経済制裁のみで、軍事制裁はできない。
20年2月 ポールデシャネル大統領が就任。
20年9月 アレクサンドル=ミルラン大統領が就任。

 

このころの日本は

 

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 このころの中国は

 

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