1912年、明治から大正に代わる。
1914年第一次世界大戦がおこる。日本は、イギリス・ロシアの三国協商側で対ドイツに参戦。中国や太平洋のドイツ権益を攻めた。
この時、日本は、清王朝を倒した中華民国の袁世凱政権に対し、清王朝と結んだ日本の権益の継続などについて二十一か条要求を行った。
第一次世界大戦の主戦場は、ヨーロッパであった。主戦場でない、アメリカや日本は大戦景気に沸いた。
第一次世界大戦は総力戦になり、植民地が少ない国から財政が困窮し、革命により戦線を離脱した。
最初に離脱したのは、日露戦争で財政難であったロシアである。ロシアでは、ロシア革命がおこり、社会主義政権ソヴィエト連邦が樹立され戦線から離脱した。
ドイツも、キール港の反乱によりヴェルヘルム2世が退位。ドイツの降伏により第一次世界大戦は終結した。
ナポレオン戦争後の大国は、イギリス、ロシア、フランス、オーストリア、ドイツ(プロイセン)であった。
しかし、戦線から離脱したロシア、敗戦国のドイツ、オーストリアの発言力は急速に低下した。その反対に主戦場にならなかったアメリカ、日本の発言力が急速に高まった。
東アジアで重要な論点は、中国国内のドイツ権益の継承であった。これを戦勝国の中華民国と日本で争った。植民地の権益を守りたいイギリス・フランスの思惑から日本に有利な形で決着した。
また、ソヴィエト連邦国内にいるチェコの軍隊保護の目的で、イギリスなどともにシベリア出兵を行った。
第一次世界大戦の戦勝国と第一次世界大戦で独立した国とともに国際連盟が成立した。日本は五大国としてこれに参加した。