1900年に清でおきた義和団事件は、列強により鎮圧された。北京には各国の軍隊が駐屯するようになる。もちろん、この主力は日本とロシアである。
このころ、イギリスは南アフリカ戦争などの植民地の反乱で苦しくなり、東アジアの防衛まで手が回らなくなっていた。そのような中、日英同盟が締結された。
そして、日露戦争が始まった。日本海海戦でロシアの主力艦隊バルチック艦隊を壊滅。(バルチック艦隊はもともとバルト海の艦隊で、日本にくるまでにイギリス植民地で様々な妨害工作を受けていて弱っていたことも影響している)。ロシアで産業資本家のデモにより血の日曜日事件が起きた情報を得た日本は、アメリカの仲介によりポーツマス条約により戦争を終結させた。
日本は、朝鮮を保護国化、のちの日韓併合を行った。
その後、ロシアとイギリスは、新興国のヴェルヘルム2世のドイツ帝国を警戒。急速に関係が改善される。イギリスは、ロシア・フランスとの間に三国協商を成立。日本もそれに追随した。