10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

2世紀のフランス ローマ帝国 五賢帝の全盛期

2世紀、日本はまだ弥生時代で小国が乱立していた。いくつかの国が中国へ使いを送っていた。

 そのころのヨーロッパは、ローマ帝国の全盛期である。この時代を五賢帝時代という。ローマ帝国は、ヨーロッパはもとより、北アフリカや中東の東半分を支配していた。

 2世紀後半、漢王朝が衰退が始めた。同じようにローマ帝国も陰りが見え始めた。ゲルマン民族の侵入とペルシア(パルティア)の戦いである。

 

 

96年 五賢帝時代の始まり ネルウァ

 66歳の高齢で皇帝就任
 前皇帝の強権的手法を改め、元老院と協調路線
 この時代から、皇帝就任には元老院(議会)の承認をとるようになる。

98年 最大版図を獲得したトラヤヌス

 スペイン出身<初のイタリア以外出身>の軍人
 元老院と協調、騎士身分を重用
  騎士とは、平民出身の政治家
 106年 東欧ルーマニアを征服
  ローマ人が大量移住 → ローマ人の国がルーマニアの語源
 114年 ペルシア(パルティア)がカフカス地方のアルメニアへ侵攻
 115年 ローマ帝国、ペルシアのバグダードを占領。
     → ローマ帝国、最大版図


117年 平和共存路線へ転換 ハドリアヌス

 スペイン出身の軍人
 国土拡張路線から転換
  奴隷の供給が止まる。 → 奴隷の地位向上(コロヌスへ)
 ローマ帝国領の各地を歴訪
 ペルシア(パルティア)との戦争を中止
  アルメニアカフカス地方)、イラクをペルシア(パルティア)に返還
 ゲルマン人とペルシア(パルティア)との戦いに専念
 122年 ハドリアヌスの壁をイングランドに築く。
  → イングランドスコットランドの国境


 都市の建設
  首都ローマの整備
  ギリシアの北、アドリアノーブルの建設
  アテネの復興
 132年 ユダヤ人の反乱
  

138年 平和を享受 アントニヌス=ピウス

 南フランス出身のも元老院議員
 大きな戦がなく、イタリアを出ることはなかった。
 150年 ゲルマン民族ゴート族、黒海沿岸を南下
 158年 キリスト教保護令

161年 哲学者 マルクス=アウレリウス=アントニヌス

 ストア学派の哲学者 → 『自省録』を著す
  禁欲こそ正義 → ストイックの語源
 ペルシア(パルティア)がアルメニアカフカス地方)へ侵攻
 165年 ペルシア(パルティア)がバクダード(クテンシフォン)を占領
 166年 ローマで疫病が流行
 166年 ゴート族がハンガリー侵攻
 175年 ゴート族と講和
 177年 ゴート族の反乱が再燃
 180年 ゴート族との交戦中に死亡


180年 五賢帝時代が終わる。→ローマ衰退期へ

 180年 ゲルマン人帝、ローマ帝国内在住が始まる。
 199年 ローマ帝国イラクバグダード(クテンシフォン)をパルティアから略奪

 

 

次回予告

「1世紀のフランス ローマ帝国 暴君ネロ帝とキリスト教

このころ中国では

 

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