10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

1900年代のペルシア カジャール朝 日露戦争の影響を受けて立憲革命へ

 1900年代、日本は明治時代末期。日本は日露戦争でロシアに勝利した。このニュースはヨーロッパ列強に分割らされたアジア各国に衝撃を与えた。ペルシアもその例外ではない。

 カジャール朝ペルシアでは、日露戦争に勝利した年、立憲革命がおき、近代化を進めていった。

 

 

1900年代、帝国主義の時代

 1900年の世界は、帝国主義の時代である。アジアは、ロシアとイギリス(イギリス領インド)のグレートゲームが展開されていた。そのような中、新たな列強が参戦した。ドイツである。1899年、ドイツはオスマン帝国からバグダード鉄道の施設権を得る。3B政策の始まりである。
 ペルシアは、北のロシア、東のイギリス(インド)、西のドイツ(オスマン帝国)に囲まれていた。

北の脅威ロシアが、日露戦争に敗北

00年 財政改革
   ロシアからの借款
   関税収入の確保
    → ヨーロッパのイラン支配の印象

01年 イラン、石油採掘権をイギリスに与える。

02年 第3次ワッハーブ王国(のちのサウジアラビア)が成立

04年 日露戦争勃発
   ロシアからの輸入が激減 → 物価が高騰

05年 日本が日露戦争に勝利

日本に続け、立憲革命

 カジャール朝ペルシアは、日露戦争の影響でロシアからの輸入が止まる。その結果首都テヘランは物価高騰した。そのため、テヘランで暴動がおこった。

 また、日露戦争の勝利の要因の分析が始まった。それが、日本に議会があることとなった。このため、カジャール朝ペルシアに対し、議会の設立を求める声が高まった。

05年 12月 カジャール朝ペルシア、テヘランで物価騰貴
06年 イラン憲法成立
 08月 カジャール朝憲法制定を決定。
 10月 憲法制定議会を招集
 12月 憲法発布

グレートゲームの終焉、英露協商

 05年、日露戦争終結。英露の対立はすべて解決した。ロシアは、バルカン半島をめぐり、ドイツ・オーストリアと対立が激化。07年08月、ロシアは、イギリスと英露協商を結んだ。

 英露の対立は、イギリス領インドとロシアの勢力争いにあった。これらは以下のように定めれれた。

 カジャール朝ペルシア
  ロシア 北部を勢力圏(主要都市はここに含まれる。)
  イギリス 東部の乾燥地帯を勢力圏
  中部 両国緩衝地帯。


 アフガニスタン
  イギリスの勢力圏


 チベット
  清王朝の支配権を認める。
  英露は相互に不干渉


 イラクオスマン帝国
  オスマン帝国は、ドイツ帝国側についている。
  そのため、イギリス・ロシアはイラン側からオスマン帝国を攻撃。

 これにより、世界は、イギリス・ロシア・フランス陣営とドイツ・オーストリア陣営に分かれた。この対立軸が第一次世界大戦につながる。

立憲派と非立憲派の対立

 一方、カジャール朝ペルシアは、立憲革命で議会が成立したものの反対派により停止された。その後、立憲派と非立憲派の対立が始まった。

 

07年 カジャール朝ペルシア、アリー国王即位。クーデターで議会を停止。
08年 カジャール朝ペルシア、油田発見
08年 オスマン帝国青年トルコ革命
08年 カジャール朝ペルシア、反立憲派による揺り戻し
   → 北部を中心に立憲派が抵抗
09年 カジャール朝ペルシアで国民軍蜂起

 

 

 

次回予告

「1890年代のペルシア タバコボイコット運動」

 

そのころ日本は

 

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そのころのヨーロッパは

 

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そのころの中国は

 

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