10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

10世紀のロシア キエフ公国ウラディミル1世、キリスト教に改宗

 10世紀(900年~)、日本は平安時代初期。菅原道真遣唐使を廃止したころである。

 このころ、ロシアはキエフ公国の時代である。10世紀末にはウラディミル1世が即位。ギリシア正教会(キリスト教)に改宗した。

 

 

ウラディミル1世、ギリシア正教会に改宗

キエフ公国とは

 キエフ公国は、9世紀にノルマン人が建国した国。領土としては黒海の北側で、現在のウクライナのあたりになる。このころになると、ノルマン人と東スラブ人が融合していた。

 80年、ウラディミル1世が即位した。

バルカン半島で紛争 ビザンツ帝国 VS ブルガリア

 このころ、近くのバルカン半島では、ビザンツ帝国ブルガリアが戦闘状態にあった。

 ビザンツ帝国は、昔のローマ帝国である。キリスト教を信仰している。キリスト教は8世紀偶像崇拝問題で分裂した。偶像崇拝をやめた側がギリシア正教会といわれ、ビザンツ皇帝が教皇を兼ねていた。一方、偶像崇拝を続けたのがローマ=カトリックである。その中心はローマ教皇である。

 一方、ブルガリアは7世紀に侵入したアジア系騎馬民族である。ギリシア正教会を信仰。9世紀、マジャール人ハンガリー)を撃退。この時期になると、バルカン半島な大部分を支配していた。

 9世紀、ビザンツ帝国マジャール人ハンガリー)ともにブルガリアを挟撃するが失敗。新たな同盟国を模索していた。それがキエフ公国である。

ウラディミル1世、ビザンツ皇帝の妹を后に迎える。

 ウラディミル1世のもとには、3人の使者が訪れた。ブルガリアイスラム教徒、ビザンツ帝国、そしてユダヤ人である。それぞれがウラディミル1世の改宗を求めた。ウラディミルは、酒の飲めないイスラム教と妻を1人しか取れないキリスト教を天秤にかけ、キリスト教を選択した。

 ウラディミル1世は、ビザンツ皇帝の妹を后に迎えた。そして、ビザンツ皇帝とともにブルガリア攻撃した。ブルガリアは、11世紀ビザンツ帝国に併合された。

アジア騎馬民族マジャール人ハンガリー王国成立

 9世紀末、ブルガリアに敗北したハンガリーマジャール人)はバルカン半島への侵入をあきらめ、さらに西へ向かった。東フランク王国(ドイツ)への侵攻を開始した。

 これに危機感を感じた東フランク王国は、19年ハインリヒ1世を皇帝にした。ザクセン朝の始まりである。東フランク王国ハンガリーマジャール人)との戦いが始まった。

 55年、皇帝オットー1世がハンガリーマジャール人)に勝利。ハンガリーバルカン半島の北東にあるパンノニア平原に定住した。1000年、マジャール人の長はローマ=カトリックに改宗。ローマ教皇は、マジャール人の長をハンガリー国王と承認した。

 

 

 

西スラヴ人国家が次々建国

 10世紀、西スラヴ人国家が2つ建国された。ポーランドチェコベーメン)である。この2か国は、ローマ=カトリックを信仰した。そのため、チェコポーランドは、いまもイギリスやフランスと同じようにローマ式のアルファベットを使用している。

ポーランド

 14世紀前半、カジミェシュ大王の時に最盛期を迎える。
 東方植民を行うドイツ騎士団との死闘を繰り広げる。
 ローマ=カトリックを信仰

チェコベーメン

 チェコは、当時ベーメンと呼ばれていた。神聖ローマ帝国(ドイツ)と密接な関係をもち、11世紀に神聖ローマ帝国編入された。

 

      

このころの日本は

 

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