10世紀(900年~)、日本は平安時代初期。菅原道真が遣唐使を廃止したころである。
このころ、ロシアはキエフ公国の時代である。10世紀末にはウラディミル1世が即位。ギリシア正教会(キリスト教)に改宗した。
ウラディミル1世、ギリシア正教会に改宗
キエフ公国とは
キエフ公国は、9世紀にノルマン人が建国した国。領土としては黒海の北側で、現在のウクライナのあたりになる。このころになると、ノルマン人と東スラブ人が融合していた。
80年、ウラディミル1世が即位した。
バルカン半島で紛争 ビザンツ帝国 VS ブルガリア
このころ、近くのバルカン半島では、ビザンツ帝国とブルガリアが戦闘状態にあった。
ビザンツ帝国は、昔のローマ帝国である。キリスト教を信仰している。キリスト教は8世紀偶像崇拝問題で分裂した。偶像崇拝をやめた側がギリシア正教会といわれ、ビザンツ皇帝が教皇を兼ねていた。一方、偶像崇拝を続けたのがローマ=カトリックである。その中心はローマ教皇である。
一方、ブルガリアは7世紀に侵入したアジア系騎馬民族である。ギリシア正教会を信仰。9世紀、マジャール人(ハンガリー)を撃退。この時期になると、バルカン半島な大部分を支配していた。
9世紀、ビザンツ帝国はマジャール人(ハンガリー)ともにブルガリアを挟撃するが失敗。新たな同盟国を模索していた。それがキエフ公国である。
ウラディミル1世、ビザンツ皇帝の妹を后に迎える。
ウラディミル1世のもとには、3人の使者が訪れた。ブルガリアのイスラム教徒、ビザンツ帝国、そしてユダヤ人である。それぞれがウラディミル1世の改宗を求めた。ウラディミルは、酒の飲めないイスラム教と妻を1人しか取れないキリスト教を天秤にかけ、キリスト教を選択した。
ウラディミル1世は、ビザンツ皇帝の妹を后に迎えた。そして、ビザンツ皇帝とともにブルガリア攻撃した。ブルガリアは、11世紀ビザンツ帝国に併合された。
アジア騎馬民族マジャール人、ハンガリー王国成立
9世紀末、ブルガリアに敗北したハンガリー(マジャール人)はバルカン半島への侵入をあきらめ、さらに西へ向かった。東フランク王国(ドイツ)への侵攻を開始した。
これに危機感を感じた東フランク王国は、19年ハインリヒ1世を皇帝にした。ザクセン朝の始まりである。東フランク王国とハンガリー(マジャール人)との戦いが始まった。
55年、皇帝オットー1世がハンガリー(マジャール人)に勝利。ハンガリーはバルカン半島の北東にあるパンノニア平原に定住した。1000年、マジャール人の長はローマ=カトリックに改宗。ローマ教皇は、マジャール人の長をハンガリー国王と承認した。
西スラヴ人国家が次々建国
10世紀、西スラヴ人国家が2つ建国された。ポーランドとチェコ(ベーメン)である。この2か国は、ローマ=カトリックを信仰した。そのため、チェコやポーランドは、いまもイギリスやフランスと同じようにローマ式のアルファベットを使用している。
ポーランド
14世紀前半、カジミェシュ大王の時に最盛期を迎える。
東方植民を行うドイツ騎士団との死闘を繰り広げる。
ローマ=カトリックを信仰
チェコ(ベーメン)
チェコは、当時ベーメンと呼ばれていた。神聖ローマ帝国(ドイツ)と密接な関係をもち、11世紀に神聖ローマ帝国に編入された。
このころの日本は