1900年代のトルコ・ギリシャ 日露戦争をきっかけに青年トルコ革命が起こる。
1900年代、日本は日露戦争で大国ロシアに勝利した。これはアジア各地に勇気を与えた。これにより、アジア各地の独立運動は加速化した。
もちろん、これはオスマン帝国にも影響を与えた。青年トルコ革命である。
前回の復習 バルカン戦争と第一次世界大戦
オスマン帝国は、青年トルコ革命で大きく混乱した。この情勢をみた周辺諸国は、一斉にオスマン帝国へ侵攻。その中の一つがバルカン戦争である。バルカン戦争で大きく力をつけたのがセルビアなどのバルカン半島諸国である。サラエボ事件でセルビアとオーストリアが戦闘。第一次世界大戦が勃発した。
今回は、バルカン戦争のきっかけとなっ青年トルコ革命を見ていきます。
青年トルコ革命のきっかけ、日露戦争
90年代、清王朝が日清戦争に敗北。これをきっかけに中国分割が始まった。英露のグレートゲームの舞台も東アジアへ移動した。その中で発生したのが日露戦争である。日英同盟軍は、ロシアに勝利した。
日本のロシアへの勝利は植民地政策に苦しむアジア民衆に大きな勇気を与えた。これが青年トルコ革命に結び付いた。ほかにも、カジャール朝(イラン)では立憲革命が発生。英領インドでは、スワデージ・スワラージ運動が加速化した。清王朝(中国)では、辛亥革命が発生した。
青年トルコ革命とは
青年トルコ革命とは、青年将校による軍事クーデターである。青年将校たちは、現在のスルタンであるアブデュル=ハミト2世を退位させた。メフメト2世をスルタンに即位させた。そして1870年代にアブデュル=ハミト2世が停止したミドハト憲法を復活させた。
しかし、アブデュル=ハミト2世も実権を握り続けた。そのため、青年トルコ政権(クーデターを起こした青年将校たち)とアブデュル=ハミト2世政権の内戦状態が続くこととなった。
混乱したオスマン帝国へ周辺諸国が侵攻
オスマン帝国の内戦を見て、周辺諸国が動きだした。オーストリア(オーストリア=ハンガリー帝国)は、バルカン半島の統治権を得ていたボスニアヘルツェゴビナを併合。自治領であったブルガリアはこの時独立を達成した。
10年代に入ると、オスマン帝国内のアルバニアが反乱。バルカン戦争へ突入する。
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この頃、日本では