9世紀、日本は平安時代初期。学問の神様、菅原道真公が活躍した時代である。
このころ、やっとイングランドに統一王朝が成立した。イングランド王アルフレッド大王である。
前回の復習 イングランド王の戴冠式
10世紀、イングランド王が戴冠式を行う。これにより、内外にイングランド王国の成立を認めさせた。
今回から、イングランドがブリタニアと呼ばれていた時代を見ていきます。今回9世紀はイングランド王国の基礎を気付いたアルフレッド大王についてみていきます。
アルフレッド大王がイングランドを統一する前
アングロ=サクソン七王国時代
8世紀、イングランドはアングロ=サクソン人が支配していた。しかし、統一的な王朝はなく、7つの王国に分かれていた。そのため、この時代はアングロ=サクソン七王国時代と呼ばれた。
当時の有力国はマーシア国であった。(詳細は次回)しかし、9世紀に入ると衰退した。その後ウェセックス国が台頭。ウェセックス国のエグバードがイングランドをマーシア国を滅ぼした。
ヴァイキングの時代
ウェセックス国の繁栄期は長くは続かなかった。
ヴァイキングの侵攻がこのころから始まった。
9世紀中ごろには、ヴァイキングの一派がデーン人がイングランドの大部分を支配するようになった。
イングランド版カール大帝ことアルフレッド大王
しかし、デーン人の支配されたアングロ=サクソン人に救世主が現れる。アルフレッド大王である。アルフレッド大王はデーン人との戦闘に勝利した。
アルフレッド大王は、イングランドを回復すると内政の整備に取り組んだ。キリスト教の考えを強く反映させたアルフレッド法典が作られたのもこの時代である。ちなみにヨーロッパ民法の規範とされたローマ法大全が作られたのは6世紀のことである。
アルフレッド大王は、敬虔なカトリック教徒であった。そのため、この時代、ラテン語の研究が進んだ。また、デーン人などのヴァイキングのカトリックへの改宗も進めた。
フランク王国の分裂
8世紀のヨーロッパの状況はどうだったのだろうか。7世紀最後の年(800年)、フランク王国のカール大帝がローマ教皇から戴冠を受けた。しかし、カール大帝が亡くなるとフランク王国は東西に分裂。東フランク王国はドイツに、西フランク王国はフランスになった。
このころ日本は