9世紀、日本は、平安初期。菅原道真公が遣唐使を廃止した時代である。
フランスの9世紀は、カール大帝の戴冠(800年)によって始まる。カール大帝の孫の世代になると相続争いが起こる。これによって、フランク王国は、フランス、ドイツ、イタリアに分裂した。一方で、このころからヴァイキングの活動が活発化する。
カール大帝の戴冠(西ローマ帝国の復活)
04年、フランク王カール大帝、ドイツ東部ザクセンを併合
ザクセンは、アングロ=サクソン族の一派
イングランドに渡らず、大陸に残ったもの
ザクセン公国として存続、10世紀にザクセン朝として神聖ローマ皇帝になる。
カロリング=ルネサンス
カール大帝は、アーヘン(現在のドイツとベルギーの国境の町で温泉が出る保養地)に宮廷を開く。そこでラテン語教育が盛んに行われた。カロリング小文字が登場。のちのアルファベットの小文字の原型とされている。
フランク王国の分裂 カール大帝の孫たち
14年、カール大帝死去
43年、ヴェルダン条約、フランク王国3分割
カール大帝の子ルートヴィヒ1世が亡くなるとカール大帝の孫たちが対立
フランク王国は3分割された。
西フランク王国、中部フランク王国、東フランク王国である。
70年、メルセン条約、フランク王国がドイツ、フランス、イタリアに分裂
中部フランク国王ロタール1世が亡くなると
アルプス北部が東フランク王国と西フランク王国に分割された。
これにより
東フランク王国 → ドイツ(神聖ローマ帝国)
西フランク王国 → フランス
中部フランク王国(アルプス山脈以南) → イタリア
ヴァイキング(海賊)がフランク王国北部を襲う。
9世紀に入ると、第2次民族大移動が始まる。この主人公はノルマン人である。
彼らは、北欧(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)にすんでおり
北欧の毛皮や木材を売って、フランク王国などから穀物などの食料を得ていた。
一方で、海賊行為も行われた。
カール大帝が亡くなり、フランク王国が内乱により弱体化。これによりノルマン人の活動は活発化した。特に大きな被害を受けたのは西フランク王国北部で、パリも大きな被害を受けた。
令和元年、あけましておめでとう。令和時代もよろしくお願いいたします。
次回予告
フランク王国は、いかにして大国になったのか?
「8世紀のフランス カロリング朝 マホメットなくしてシャルルマーニュなし」
お楽しみに
このころ日本は
このころの中国は