9世紀~12世紀は平安時代と呼ばれていた。
794年に平安京(京都)に遷都を行った。ただ、政治体制は大きく変わっていない。
このころになると唐は、8世紀の安史の乱で都長安が焦土と化した後、再建できずにいた。異民族の侵入(ウイグル人)や内乱(黄巣の乱)で大きく混乱していた。そのため、894年遣唐使は廃止された。このころ、東北方面への領土拡大も進めている。清水寺ゆかりの坂上田村麻呂も東北侵攻の中心人物である。青森県八戸市の八戸は八番目の砦という意味である。
地方では、国司の給料体系が改められ、口分田から上がる税金は、一部を京都に納付し、それ以外は懐に入れることができるようになった。これにより私腹を肥やす中下級貴族が登場した。
文化面では、飛鳥、奈良時代からの仏教が批判され、遣唐使に追随した留学生(最澄、空海)がもたらした天台宗(延暦寺)や真言宗(東寺、金剛峰寺)が登場した。これらの宗教の特長は、都市ではなく山中に寺院を置くのが特徴である。