10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

10世紀のフランス カロリング朝 パリ伯、カペー朝を開く

10世紀、日本は平安時代中期、遣唐使が廃止。ひらがなや寝殿造りなどの日本独自に国風文化が花開いた。

 このころのフランスは、まだ西フランク王国と呼ばれていた。北部ではノルマン人の海賊行為に悩まされていた。ローマ教皇は、東フランク国王オットー1に戴冠。東フランク王国(ドイツ)と関係性を強める。そのような中、フランスではカペー朝が成立した。

 

ノルマンディー公国の成立

 10世紀初頭、フランス北部はノルマン人の侵攻に悩まされていた。彼らは、セーヌ川を南下、パリまで侵攻した。
 11年、フランス国王はノルマン人のリーダーロロと交渉。キリスト教(ローマ=カトリック)への改宗を条件にノルマンディー半島での定住を許可した。

 ノルマン人は、その後、11世紀にイングランド、12世紀に南イタリアを領有

ノルマン人とは

 ノルマン人は、バルト海沿岸の民族。8世紀ごろから北海沿岸に進出。交易や海賊行為を行った。また、河川を通じて内陸部まで海賊行為を行った。

ドイツ国王オットー1世の戴冠

 一方、ドイツの下となる東フランク王国では、11年カロリング朝が断絶。フランケン朝が成立。19年、ザクセン朝成立。

 36年、東フランク国王オットー1世が即位。55年アジア系のマジャール人を撃退。その後スラヴ民族を服従させた。

 61年、ローマ教皇ヨハネス12世の要請でローマ遠征。イタリア王を兼任。62年、ローマ教皇から戴冠を受け神聖ローマ皇帝となり、ローマ帝国の正式な後継者となった、この後、神聖ローマ皇帝の地位はザクセン家が世襲する。また、神聖ローマ皇帝は、ローマ教皇の権威を利用して皇帝権を強化していく。

パリ伯ユーグ=カペー カペー朝を開き、フランス国王になる。

 87年、西フランク王国カロリング朝が断絶。ノルマンディー討伐で活躍したユーグ=カペーがフランス国王に就任した。しかし、神聖ローマ帝国とは異なり、教皇の権威が利用できないため、諸侯と連携をとりながらの政権運営を余儀なくされた。

 この時期から現在まで、フランスの首都はパリとなる。

 

次回予告

 フランスはどのような形で誕生したのか。

 

「9世紀のフランス カロリング朝 フランスの誕生 カール大帝とその孫たち」

お楽しみに

このころの日本は

 

sekaishiotaku.hatenablog.com

 このころの中国は

 

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