45年、太平洋戦争が終わる。日本はGHQの占領下にあった。
当時のイランは、イギリス・ソ連の占領下にあった。戦後、テヘラン宣言に基づき独立を回復。イギリス軍は撤兵したものの、ソ連軍はそのまま居座り続けた。
第二次世界大戦 終戦時
イランは、イギリス、ソ連の連合国の占領下にあった。
42年1月、イラン、イギリス、ソ連の3か国条約での取り決め
イギリスとソ連は休戦後6か月以内に両軍はイランから撤兵
43年11月、テヘラン宣言(米、英、ソ)での取り決め
イランの独立と国境を定める。
ソ連軍によるイラン北西部での独立運動
第二次世界大戦が終了。イギリス軍はすぐに撤退した。しかし、ソ連軍は撤兵を拒んだ。
イラン北西部(カスピ海の西側)、イラン国内のアゼルバイジャン人、クルド人が独立運動を起こした。ソ連はこれを支援した。46年5月、イラン皇帝パフレヴィー2世はソ連に石油採掘権をあたえ、ソ連軍を撤退させた。パフレヴィー2世は、ソ連軍を撤退させると独立運動を鎮圧。ソ連に与えた石油利権を取り返した。
これにより、パフレヴィー2世は親米路線をとるようになる。
イラク、第一次中東戦争に参戦。
イラクは、45年国際連合に加盟。45年アラブ連盟を結成。原加盟国は、イラクのほか、エジプト、シリアなど7か国。47年、国際連合によるパレスチナ分割案にアラブ連盟は反対。48年5月、ユダヤ人がイスラエル建国宣言を行う。これに対し、アラブ連盟は宣戦布告。第一次中東戦争が始まる。
次回予告
「1940年代前半のイラン パフレヴィー朝 イラン進駐 と テヘラン会談」
このころの日本は
このころのヨーロッパは
このころの中国は