10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

1940年代の後半のイラン パフレヴィー朝 ソ連の脅威によって、親米路線にかじをきる。

45年、太平洋戦争が終わる。日本はGHQの占領下にあった。

当時のイランは、イギリス・ソ連の占領下にあった。戦後、テヘラン宣言に基づき独立を回復。イギリス軍は撤兵したものの、ソ連軍はそのまま居座り続けた。

 

 

第二次世界大戦 終戦

イランは、イギリス、ソ連の連合国の占領下にあった。

42年1月、イラン、イギリス、ソ連の3か国条約での取り決め

 イギリスとソ連は休戦後6か月以内に両軍はイランから撤兵

43年11月、テヘラン宣言(米、英、ソ)での取り決め

 イランの独立と国境を定める。

 

 

ソ連軍によるイラン北西部での独立運動

 第二次世界大戦が終了。イギリス軍はすぐに撤退した。しかし、ソ連軍は撤兵を拒んだ。

 イラン北西部(カスピ海の西側)、イラン国内のアゼルバイジャン人、クルド人独立運動を起こした。ソ連はこれを支援した。46年5月、イラン皇帝パフレヴィー2世はソ連に石油採掘権をあたえ、ソ連軍を撤退させた。パフレヴィー2世は、ソ連軍を撤退させると独立運動を鎮圧。ソ連に与えた石油利権を取り返した。

これにより、パフレヴィー2世は親米路線をとるようになる。

イラク第一次中東戦争に参戦。

 イラクは、45年国際連合に加盟。45年アラブ連盟を結成。原加盟国は、イラクのほか、エジプト、シリアなど7か国。47年、国際連合によるパレスチナ分割案にアラブ連盟は反対。48年5月、ユダヤ人がイスラエル建国宣言を行う。これに対し、アラブ連盟は宣戦布告。第一次中東戦争が始まる。

 

次回予告

「1940年代前半のイラン パフレヴィー朝 イラン進駐 と テヘラン会談」

このころの日本は

 

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 このころのヨーロッパは

 

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 このころの中国は

 

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