10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

9世紀の中国 唐王朝末期 地方政権に没落した唐王朝。新興地主層の台頭。

 8世紀、日本は平安時代の初期にあたる。唐王朝は、かなり衰退していた。均田農民も事実上土地の私有が認められ、貧富の差が拡大した。唐王朝の衰退によって門閥貴族が没落する一方、新興地主層が台頭した。

  唐王朝は衰退傾向になった。地方は、節度使(藩鎮)が治めるようになっていた。唐王朝は、長安周辺を治める一地方政権に転落していた。当時の長安は、8世紀の安史の乱で焦土と化していた。中国最大の都市は、黄河と大運河(7世紀の隋王朝期に完成)の交点に成立した商業都市開封に移っていた。この開封はまだ、唐王朝支配下にあった。
 このころには、租調庸制は崩壊。780年の両税法に変っていた。均田農民も、貧富の差が拡大した。裕福なものは小作人を雇い農地を拡大していた。彼らは形勢戸(新興地主層、けいせいこ)とよばれ、10世紀末の宋王朝期には門閥貴族(旧地主層)に変って政治の中心を担うようになる。一方で、貧しいものは形勢戸の小作人に没落するものも多かった。
 9世紀後半、塩の密売人(8世紀末に塩の専売制が導入。)の反乱がおこると全国に飛び火した。黄巣の乱朱全忠節度使の協力でようやく鎮圧できた。この際に最後で唐王朝最大の都市開封朱全忠に譲渡された。
 このころの日本は、8世紀末に平安京に遷都を行っていた。9世紀末には、唐の治安悪化を理由に遣唐使を中止した。北方異民族の世界ではウイグルキルギスに滅亡された。このころからトルコ系軍人奴隷(マムルーク)が登場し、イスラム社会に取り込まれていく。

 そのころの日本は

 

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