4世紀、日本は古墳時代。中国が五胡十六国の戦乱期のためこのころの日本の様子がわかる書物が残っていない。
この時期、イングランドはブリタニアとよばれ、ラテン人(ローマ人)が支配していた。この頃からゲルマン人がイングランドへの侵入を繰り返した。これによりラテン人はイングランドを撤退。ゲルマン人(アングロ=サクソン人)の時代がやってくる。
前回の復習 ゲルマン民族がやってきた
5世紀、イングランドからラテン人が撤退。代わりにやってきたのがゲルマン民族のアングロ=サクソン人であった。
今回から、ローマ帝国時代のイギリスを見ていきます。
ローマ帝国時代のイングランド
アングロ=サクソン人がイングランドへ侵入する前、イングランドはローマ帝国領であった。ローマ帝国時代、イングランドはブリタニアと呼ばれていた。ラテン人は、先住民であるブリトン人を支配する構造であった。
4世紀のローマ帝国
3世紀の軍事皇帝時代を経て、ローマは衰退した。4世紀初頭、コンスタンティヌス大帝は、都をビザンティウム(現在のイスタンブール)へ遷都した。この年はコンスタンチノーブルと呼ばれるようになる。イタリアのローマはさらに衰退していった。また、コンスタンティヌス大帝は、キリスト教を公認した。
4世紀末には、キリスト教が国教化され、キリスト教を利用した統治がはじまった。また、ギリシャ神話に基づいた古代オリンピックも中止させられた。
ゲルマン民族の大移動とローマ人の撤退
3世紀後半から、ゲルマン民族がローマ帝国内へ侵入するようになった。これはイングランド(ブリタニア)も例外ではなかった。イングランドへもゲルマン人が侵攻した。イングランドのローマ人はイングランドを放棄した。ここから原住民のブリトン人とゲルマン人の抗争が始まる。
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この頃の日本は